6月18日(水)
生協の宅配を頼むようになってから、毎週届けられる注文用のカタログの量がすごい。
今必要なものではなくて、来週必要になるであろうものを予想して買うのは難しいので、重たいもの以外はあまり買わなくてもよいと10さんと取り決めた。
毎日のように買い物に出かけるので、必要なものはその都度買えばよいのだから。
とはいえ、そこにあるカタログの山を右から左に捨ててしまうのも心苦しいので、一応すべてに目を通す。
一時間は軽くかかる。
買わなくてもよいものを眺めているはずなのに、なんだか欲しいような気になってしまう。
「お金さえ潤沢にあれば、買いたい」と思ってしまうのはなんでだろう。
落ち着いてよく考えてごらん、本当に欲しいのか?
こういうのって、もしかするとネットショッピングなんかでもそうなのかもしれない。
次々に流れてくるお薦め商品。
今までそれの存在すら知らなかったのに、欲しくてしょうがなくなる。
欲しいとはちょっと違う。
買いたくなってしまう。
恐ろしいなあ。
心のどこを刺激されてそんな気持ちになるんだろう。
ねえ、私、今の今まで野沢菜のナムルなんて知らなかったのに、それどうしても欲しいの?
*腰痛について
昨晩湿布を貼って寝たら、ずいぶん楽になりました。
調子に乗って動き回ったらまた痛くなってきたので、明日も静養という名のひきこもりです。
わくわく。
本日の読書:本売る日々 青山文平
カバー裏より
『本屋の”私”は月に1度、城下の店を出て村の寺や家を回る。上得意の名主が後添えにしたという可憐な少女に見せた貴重な画譜が、目を離した隙に消えてしまう(表題作)。『古事記伝』『群書類従』など高価な本を購(あがな)い、不思議な情熱で知識を求める村人たちの心と暮らしをスリリングに描く感動の連作時代小説。』
目次
・本売る日々
・鬼に喰われた女(ひと)
・淇一(きいつ)先生
主人公の松月平助(しょうげつへいすけ)は、本屋である。
江戸時代、本屋というのは二種類あって、一つは読本や浮世絵を売る地本屋、つまり今年の大河ドラマの主人公である蔦谷重三郎がやっているようなものと、もうひとつはこの主人公のような物之本屋である。
物之本の本とは、「根本」の本であり、「本来」の本であり、物事の本質を意味する。
だから扱うのは、仏書、漢籍、歌学書、儒学書、国学書、医書などである。
現代で言うと本屋というより古本屋の方が、その在り方に近いかもしれない。
自分の目で売る本を選び、店に置く。
店主が目利きであれば、それなりに安定した暮らしはできる。
しかし平助は焦っていた。
自分の店からも、本を出版したいと思っていた。
もっとじっくり準備するはずだったのに、隣村のぽっと出の本屋が、粗雑な作りとは言え自分の名前で本を出版したのだ。
なら、自分だって、と焦った結果が騙されて、借金を背負うことになった。
なので、月に一度、近在の村の寺や家を回り、注文を取ったり、気に入りそうな本を紹介したりしていた。
それは借金返済のための苦肉の策ではあったが、一人の本好きとして本好きたちの家を回るのは楽しいことでもあった。
で、短編が3作。
江戸時代の出版文化や、本という貴重品についてとともに語られる平助の話は、不可解な出来事であり、ちょっとしたミステリになっている。
江戸時代の医学について知ることができるのが『淇一先生』だ。
村医者でありながら、数多くの医学書をもち、よく読み、実践している名医である淇一先生は、医師を志すものを弟子として育てることも多い。
先生のところには医書のほかに口訣(くけつ)集という、実際の治療についての細かな記録や考察を書いた本があった。
普通ならそれは門外不出にすべき大切な記録であるのに、淇一先生はそれを誰もが読んで広めることを許している。
平助は「苦心を重ねて辿り着いた成果でしょう。真似されないように、盗まれないように、堅固な壁を張り巡らせるのが常道ではないでしょうか」と淇一先生に問うが、先生は「それをしたら医は進歩しません。患者は救われません」と答える。
「医は一人では前へ進めません。みんなが技を高めて、全体の水準が上がって、初めて、その先へ踏み出す者が出るのです」と。
なぜ先生は平助に口訣集の話をしたのか。
「それはもちろん、あなたが本屋だからですよ。(中略)朝鮮や越南(ベトナム)のように、直に唐の名医の指導を受けられない日本では、医書こそが教師でした。(中略)私たちとあなた方は、一体なのですよ」
物乃本屋としての目利きであるためには、ものすごく本の、本の内容の、勉強をしなければならない。
時短などという概念のない時代、ただひたすら勉強して努力して、江戸時代の人たちは自分の仕事を自分のものにして行ったのだ。
もちろんただ何となく仕事をしている人も多くいただろうけれど。
読んでいるうちに、自分の心の中で何かがきれいに洗われていく気がした。
そして、物語の最後に書かれたことは、平助の本屋としての大きな一歩であったと言える。
続編出ないのかなあ。
