6月12日(木)
あなたは日記帳持ってる?
▼本日限定!ブログスタンプ
読書記録用に5年日記の日記帳を持っているけれど、実際に日記を書いていたのは普通の大学ノートでした。
昔の少女マンガなんかによく出てきた鍵付きの日記帳にものすごく憧れたけど、高いし、ページが小さい割に厚みがあるというのが書きにくそうで、とうとう買うことはありませんでした。
そもそも鍵をかけてまで隠したいような秘密もなかったし。
今もないし…。
今はブログが日記替わりで、検索機能があるので備忘録としてもまあまあ重宝。
実は、このブログを始めたころは、一度紙に下書きをして、それを見ながら入力をしていました。
考えながらキーボードを打つということがまだできなかったのさ。
それに比べたら成長したなあ。
本日の読書:死にがいを求めて生きているの 朝井リョウ
伊坂幸太郎が呼びかけた〈螺旋プロジェクト〉の一冊。
海族と山族の対立、共通のキャラクター、共通シーンやモチーフを出して、それぞれ違う時代を描く。
この作品は、【平成】という時代を描いた。
読んでいて何度も、これ、伊坂幸太郎の作品?と思ったのは、なぜだろう。
複数の登場人物の視点で語られる…のは、伊坂幸太郎に限ったことではないし。
作者が伊坂幸太郎に寄せた部分があるのかもしれない。
作中で何度も読者の立ち位置を確認するような書き方。
わかりやすいキャラクター設定のようでいて、複層的な作り。
でも、最後のどろどろと湧いてくるような毒は、確かに作者のものだと思った。
世の中から「対立」「競争」というものを無くしていったのが、【平成】という時代。
運動会、学校の成績など、目の前から越えるべき壁を消され、ナンバーワンではなくオンリーワンであれと求められた世代。
誰も評価をしないので、結果は自己責任。
誰も評価をしなくても、自分が自分を評価しなければならない苦しさ。
自分を信じられるものは幸いである。
しかし、そうでない者たちは、自分を何で評価すればいいのか。
そして、簡単にカリスマを作り出し、簡単にその座から引きずり下ろし、簡単に忘れる風潮。
忘れられたカリスマは、その後をどうやって生きていったらいいのか。
ナンバーワンでなくてはならない、ということと、ナンバーワンを目指したい、ということは全然違うのに、ナンバーワンを目指すことが競争を生み対立を生む、と単純化してしまう世の中に私は違和感をずっと持っている。
オンリーワンというのも、強制するものでもなければ、成長や変化を拒否するものではないと思うのだが「そのままでいい」と断定されることのなんて多いことか。
世間から認められたくてあがく雄介。
敵対相手を作り上げて一瞬の世間の注目を浴びた後、すぐに忘れられる。
その繰り返し。
幼馴染の智也は、雄介のその気質が暴力に向かないように心配し、対立は不要なのだと諭すが、その言葉は雄介には届かない。
この二人の小学生から20代前半までの付き合いが、その周囲の人たちによって語られるのが、その中で、転校生としてこの二人とかかわった前田一洋の存在がちょっと引っかかった。
彼が存在することで、二人のバランスが少し崩れるのだ。
不器用に二人で紡いでいる関係が、転勤族の子どもという妙に立ち回りの上手い彼の存在で揺らぐ。
そして最終的に、彼が自分の都合で雄介と智也を対峙させたときに、事態は大きく動くのだ。
なのに、そのことに作者も解説も何も触れていないのが気持ち悪い。
もしかして私は、何かの地雷を踏んだのか?
カバー裏より
『俺は、死ぬまでの時間に役割が欲しいだけなんだよ――日常に倦(う)んだ看護師、承認欲求に囚われた大学生、時代に取り残されたTVディレクター。交わるはずのない彼らの痛みが、植物状態の青年・智也と、彼を見守る友人・雄介に重なるとき、歪な真実が露わになる。自滅へひた走る若者たちが抱えた、見えない傷と祈りに触れる物語。』伊坂幸太郎が呼びかけた〈螺旋プロジェクト〉の一冊。
海族と山族の対立、共通のキャラクター、共通シーンやモチーフを出して、それぞれ違う時代を描く。
この作品は、【平成】という時代を描いた。
読んでいて何度も、これ、伊坂幸太郎の作品?と思ったのは、なぜだろう。
複数の登場人物の視点で語られる…のは、伊坂幸太郎に限ったことではないし。
作者が伊坂幸太郎に寄せた部分があるのかもしれない。
作中で何度も読者の立ち位置を確認するような書き方。
わかりやすいキャラクター設定のようでいて、複層的な作り。
でも、最後のどろどろと湧いてくるような毒は、確かに作者のものだと思った。
世の中から「対立」「競争」というものを無くしていったのが、【平成】という時代。
運動会、学校の成績など、目の前から越えるべき壁を消され、ナンバーワンではなくオンリーワンであれと求められた世代。
誰も評価をしないので、結果は自己責任。
誰も評価をしなくても、自分が自分を評価しなければならない苦しさ。
自分を信じられるものは幸いである。
しかし、そうでない者たちは、自分を何で評価すればいいのか。
そして、簡単にカリスマを作り出し、簡単にその座から引きずり下ろし、簡単に忘れる風潮。
忘れられたカリスマは、その後をどうやって生きていったらいいのか。
ナンバーワンでなくてはならない、ということと、ナンバーワンを目指したい、ということは全然違うのに、ナンバーワンを目指すことが競争を生み対立を生む、と単純化してしまう世の中に私は違和感をずっと持っている。
オンリーワンというのも、強制するものでもなければ、成長や変化を拒否するものではないと思うのだが「そのままでいい」と断定されることのなんて多いことか。
世間から認められたくてあがく雄介。
敵対相手を作り上げて一瞬の世間の注目を浴びた後、すぐに忘れられる。
その繰り返し。
幼馴染の智也は、雄介のその気質が暴力に向かないように心配し、対立は不要なのだと諭すが、その言葉は雄介には届かない。
この二人の小学生から20代前半までの付き合いが、その周囲の人たちによって語られるのが、その中で、転校生としてこの二人とかかわった前田一洋の存在がちょっと引っかかった。
彼が存在することで、二人のバランスが少し崩れるのだ。
不器用に二人で紡いでいる関係が、転勤族の子どもという妙に立ち回りの上手い彼の存在で揺らぐ。
そして最終的に、彼が自分の都合で雄介と智也を対峙させたときに、事態は大きく動くのだ。
なのに、そのことに作者も解説も何も触れていないのが気持ち悪い。
もしかして私は、何かの地雷を踏んだのか?