5月9日(金)
 
退職して一年ちょっと、ずっと観察していたのですが、どうも10さんは物の管理ができない。
どこに何があるのか、どのくらいの量があるのか、を把握していない。
だから、買いすぎて賞味期限に追われるかと思えば、毎日買い物に行っているのになんやかんや足りない。
というわけで、最近は私が買い出しに行っては「あったらいいな」を買ってきているわけです。
 
で、悩ましいのがお昼ごはん。
私は一日二食でもいいんだけど、10さんは三食きちんと食べないと便秘になるらしい。
意外とデリケートである。
 
10さんが台所を仕切っているので、お昼ご飯はおおむね10さんの担当となっている。
インスタントラーメン、冷凍うどん、スーパーで買ったお弁当あたりがパワープレイされる。
しかしもう少しバリエーションがあってもいいではないか。
何ならお昼ご飯は私が作ってもいい。
 
と思ったのだけど、毎日を家でお過ごしの皆さんは、お昼ご飯に何を食べているのだろう?
さすがにお昼に一汁三菜とかは嫌だ。
と思って、知恵袋先生にお尋ねしようと思ったら、何人もの方たちがすでに聞いてらした。
 
主な回答と我が家の現状。
家族のお弁当を、作った残り。→お弁当を持って出かける家族がいないので無理
朝ご飯の残り→朝ご飯の残りが発生したことないので無理
その他、お弁当を買ったり、インスタントラーメンやレトルトカレーだったり、ランチを食べに行ったり。
 
お米もパンも値上がりがはなはだしいので、乾麺主体でとりあえずやってみようと思う。
早速今日、全粒粉のそうめんを買ってみた。(まだ食べてはいない)
2人前の分量で178円。
麺料理の料理本を買った。
4冊で約5000円。
節約って難しいと思った。
 
桜もチューリップもきれいに咲いているのに、人がいない公園。
つくづく札幌って、「疎」だよね。

 
 
 
 
 
本日の読書:最後に咲く花 片山恭一

 

カバー裏より

『投資信託専用の運用会社に勤める四十歳目前の永江は、離婚後、あるきっかけで、大学時代の同級生・由希と出会う。十数年ぶりの再会。季節が巡るように、お互い気になる存在に変わっていくが、由希は心肺を病んでしまう。そして永江に「これ以上苦しみたくない」と、自殺幇助を願い出る。永江には、二十代の恋人・沙織がいたが、由希といる時間のなかに「かけがえのない瞬間」を見いだすようになる。そんななか、友人で建設会社副社長の羽佐間が、単身山に登ったまま妻子を残して連絡を断ってしまう。彼を探すべく山に向かった永江は、ある事に気付かされる。』

恋愛と死病。
何がいやってこの取り合わせの小説が嫌い。
読みながらずっと、うんざりしてげっそりしていたたまれなかった。

主人公は請われて入った投資信託の運用会社でそこそこのポストについて、顧客には信頼され、上司にもその実績をかわれている。
プライベートでは結婚を視野に入れた、20代の恋人がいる。
それとは別に、心肺を病んで死を待つだけの大学の同級生・由希と穏やかな時間を過ごしている。
これって、男の理想の生活なんじゃないかと思う。
だって大学を卒業生20年、ずっと由希は永江君のことが好きだったんだって。
時間止まってたの?

そもそも主人公が二人の女性のどこに惹かれ愛しているのか、逆に彼女たちは彼のどこに惹かれ愛しているのか、全然わからない。
ランチで1万5000円もする寿司屋も、どこかのレストランも、料亭も、実に見事に、おいしそうに食事をしてもらえない。
刺身をつまむだけ。それがオシャレ?

キャラクターたちが背負う書き割りのような背景、脳内で棒読みで再生されてしまう会話のセリフ、感情の起伏も、体温の温かさもまるで感じられない。
ただ、頭の中で作られた物語のように感じた。

奇しくも作中で
”細密で正確に描かれているにもかかわらず、何も描かれていないという印象を受ける絵がある。どんなに巧みに描いてあっても、画家の技術以上のものは感じられない。”
と書いてあったが、まさにそれ。

心肺を病んで死に至るという設定と、タイトルの『最後に咲く花』で、ボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』のパクリかと思ったよ。
しかしその繊細さなどみじんもなくて、厚いアクリル板の外から死を眺めているような、傲慢なセリフばかりが鼻につく。
少なくともアンネ・フランクには生に対する希望があったから、先行き不透明な今はアンネ・フランクよりも不幸な時代なんだって。
開いた口がふさがらん。