5月2日(金)
昨日は、10日前の天気予報からずっと晴マークでした。
だから毎年恒例の、花見焼き鳥を行いました。
怖いくらい満開。
まだ早い時間なのに、公園をお散歩している人がたくさんいました。
空は青いし、風は弱いし、温かいし、最高のお花見日和。
写真で見るとカラスに見えますが、多分ヒヨドリ。
葉がまだ出てきていないので、鳥の姿を見つけやすくて助かる。
なぜかずっとカメラ目線でしたが、やっと鳥らしい横顔が撮れた。
奇跡の一瞬。
10さんと長男。
私は手すりがないと、まだ階段を降りるのが怖いので、階段にマットを敷いて座っています。
焼けるといちいち長男が届けてくれました。すまんのう。
彼らは川向こうの桜を鑑賞。
こちらは、一番よく鳴いていたけれども、小さいしよく動くので撮りにくかったシジュウカラ。
本当にツピツピと鳴くので、さすがの私でもよくわかる。
カラスもいないわけではなかったけれど、一時期に比べたらてんで大人しい。
焼き鳥のあと燻製も作ったのだけど、10さんが燻製器にゆで卵のほかにはんぺんとさつま揚げをぎゅうぎゅうに入れて、強い火力で作ったため、焦げました。
反省ののち作ったスモークチーズは美味しかった。
引き続き弱い火力で焼きおにぎりを作ったので、全然焼けず、温かい味噌おにぎり止まり。
来年は焼き鳥→焼きおにぎり→燻製の順で作ろう。
私達が帰るころ、たくさんの人たちがお弁当を持って桜の木の下でお花見をしていました。
平和な一日。
本日の読書:掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集 ルシア・ベルリン
目次
・エンジェル・コインランドリー店
・ドクターH.A.モイニハン
・星と聖人
・掃除婦のための手引き書
・私の騎手(ジョッキ―)
・最初のデトックス
・ファントム・ペイン
・今を楽しめ(カルぺ・ディエム)
・いいと悪い
・どうにもならない
・エルパソの電気自動車
・セックス・アピール
・ティーンエイジ・パンク
・ステップ
・バラ色の人生(ラ・ヴィ・アン・ローズ)
・マカダム
・喪の仕事
・苦しみ(ドロレス)の殿堂
・ソー・ロング
・ママ
・沈黙
・さあ土曜日だ
・あとちょっとだけ
・巣に帰る
・物語(ストーリー)こそがすべて リディア・デイヴィス
初読みの作家でしたが、思った以上に楽しめました。
ほぼ作者の体験に根ざした作品らしいが、その経歴がまた想像以上。
貧困家庭で家族に顧みられないまま育ち、学校ではいじめに遭い…からのチリの上流階級へと跳ね上がり、女手一つで4人の息子を育てながらアル中になり、刑務所で創作を教え、最終的にはコロラド大学の准教授から、闘病生活へ。
家族を顧みない父、二人の娘を見守ることのないアル中の母、妹だけを可愛がる祖母、作者を可愛がるが性的虐待をも与えるアル中の祖父、家族の中で唯一作者の理解者であったアル中のジョン叔父。
悲惨ともいえる家庭生活以外では、学友たちにいじめられ、先生からは疎まれて、それでも親友ができた。
死期の近い妹の世話をするために仕事をやめてメキシコに立ち、クローゼットのように狭い小部屋に住んで、最後のひと時を家族の思い出話で過ごす。
妹は妹で、彼女のことを羨んでいた、と。
悲惨も絶望も残酷もあるのに、決して湿っぽくはない。
何ならクスッと笑えるところもある。
それは作者が、そうやって生きてきたからだろう。
日本の私小説は、自分の奥深くへ潜っていくような息苦しさがあるが、彼女の書く小説は世の中や時代に即して、ある。
どんなにつらいときでも目を、耳を、閉ざすことなく世の中とつながっている。
だから読者は、作者から拒絶されたと思わないで読み進めることができる。
最近読んだばかりのせいか、こうの史代みたいな読み心地に感じられた。
カバー裏より
『毎日バスに揺られて他人の家に通いながら、ひたすら死ぬことを思う掃除婦(「掃除婦のための手引き書」)。道路の舗装材を友だちの名前みたいだと感じてしまう、独りぼっちの少女(「マカダム」)。波乱万丈の人生から紡いだ鮮やかな言葉で、本国アメリカで衝撃を与えた奇跡の作家。大反響を呼んだ初の邦訳短編集。目次
・エンジェル・コインランドリー店
・ドクターH.A.モイニハン
・星と聖人
・掃除婦のための手引き書
・私の騎手(ジョッキ―)
・最初のデトックス
・ファントム・ペイン
・今を楽しめ(カルぺ・ディエム)
・いいと悪い
・どうにもならない
・エルパソの電気自動車
・セックス・アピール
・ティーンエイジ・パンク
・ステップ
・バラ色の人生(ラ・ヴィ・アン・ローズ)
・マカダム
・喪の仕事
・苦しみ(ドロレス)の殿堂
・ソー・ロング
・ママ
・沈黙
・さあ土曜日だ
・あとちょっとだけ
・巣に帰る
・物語(ストーリー)こそがすべて リディア・デイヴィス
初読みの作家でしたが、思った以上に楽しめました。
ほぼ作者の体験に根ざした作品らしいが、その経歴がまた想像以上。
貧困家庭で家族に顧みられないまま育ち、学校ではいじめに遭い…からのチリの上流階級へと跳ね上がり、女手一つで4人の息子を育てながらアル中になり、刑務所で創作を教え、最終的にはコロラド大学の准教授から、闘病生活へ。
家族を顧みない父、二人の娘を見守ることのないアル中の母、妹だけを可愛がる祖母、作者を可愛がるが性的虐待をも与えるアル中の祖父、家族の中で唯一作者の理解者であったアル中のジョン叔父。
悲惨ともいえる家庭生活以外では、学友たちにいじめられ、先生からは疎まれて、それでも親友ができた。
死期の近い妹の世話をするために仕事をやめてメキシコに立ち、クローゼットのように狭い小部屋に住んで、最後のひと時を家族の思い出話で過ごす。
妹は妹で、彼女のことを羨んでいた、と。
悲惨も絶望も残酷もあるのに、決して湿っぽくはない。
何ならクスッと笑えるところもある。
それは作者が、そうやって生きてきたからだろう。
日本の私小説は、自分の奥深くへ潜っていくような息苦しさがあるが、彼女の書く小説は世の中や時代に即して、ある。
どんなにつらいときでも目を、耳を、閉ざすことなく世の中とつながっている。
だから読者は、作者から拒絶されたと思わないで読み進めることができる。
最近読んだばかりのせいか、こうの史代みたいな読み心地に感じられた。