4月23日(水)

 

解説・あらすじ

ルー・ウォーレスによる同名ベストセラー小説の3度目の映画化。西暦1世紀の初め、ローマ帝国支配下のエルサレムに生まれたユダヤ人貴族の息子ベン・ハーの波乱に富んだ半生を、イエス・キリストの生涯と絡ませて描いた歴史スペクタクル大作。監督は「ミニヴァー夫人」「我等の生涯の最良の年」の巨匠ウィリアム・ワイラー。タイトルロールにチャールトン・ヘストン。59年度のアカデミー賞では作品賞、監督賞を含む史上最多の11部門を受賞した。

 

 

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実は『ベン・ハー』には、思い出すのもつらい、この数十年すっかり忘れ切っていた苦い思い出があるのです。

学生時代の夏休み、「なんでもいいから英語の本を1冊、訳しなさい」という宿題が出ました。

友だちと札幌市内の大きな書店に本を買いに行ったとき、映画好きの友だちが「ベン・ハー、映画見たけど面白かったよ」というので、もちろん子供用のダイジェスト版であろう薄い『ベン・ハー』の本を買って帰ったのでした。

 

最初から丁寧に訳し続ける英語力はありませんので、わからない単語を調べながら、それでもわからないところを飛ばし飛ばし訳しても、全然内容がつかめません。

いつの間にかローマのガレー船の説明が延々続いていました。

キリスト教の話だと聞いていたのに、なぜガレー船?

多分日本語で読んでもよくわからないガレー船の説明を、英語で読もうなんて無理でした。

もちろん泣きながら別の本を買いに走りました。

確か日本昔話の英訳本だったような…。

日本昔話の英訳本を日本語に訳して、『ベン・ハー』については、記憶の奥の奥の方に封印したのでした。忘れてたけど。

 

今回、鑑賞するかどうか迷いましたけど、日本語字幕があることですし、名作映画という評判なのでやっぱり観ておこうと思いました。

 

結論としては、難しい映画でしたね。

ユダヤ教というのは「ユダヤ人しか勝たん」という宗教なので、基本的には他宗教には無関心。

最終的に神様に救ってもらえるのは自分たちだという余裕から、実際には虐げられていても、他宗教に報復という考えはなかったはず。

少なくとも映画の舞台になった時代には。

今のイスラエルを見て、ジュダ=ベン・ハーたちはどう思うのだろう、と思いました。

 

数多くのユダヤ人たちが辛い思いをしているなか、どうしてジュダたちだけが、奇跡的に神様に救ってもらえるのかがよくわかりませんでした。

大事なところでキリストがかかわってくるのですが、決して顔を映さないところが上手いなあと思いました。

それでも、キリストってわかるんだもんなあ。松山ケンイチではないんだよなあ。多分。

 

ジュダの家族を不幸のどん底に突き落としたかつての親友・メッサラについて。

彼はエルサレムという田舎に育ったため、ローマにもどった後、多分とても苦労して現在の地位についたのだと思う。

ジュダとは親友だが、大人となった今ではローマ人とユダヤ人では立場が違うし、そのローマ人の中で出世した自分をもっと立ててほしかったのではないか。

ところがジュダはローマ人に頭を下げないし、何をやっても自分より上手い。

そのことがメッサラを追い詰めたのだろう。もともとの性格があるとしても。

瀕死の状態で、恨まれ憎まれる存在としてでも、ジュダの中に自分を刻み付けようとあがく。

 

競馬のシーンは圧巻で、早いうちから落後者が続出するので、絶対ジュダが勝つだろうと思いながらも息を止めていたようで、レース序盤から胸苦しくて心臓バクバクでした。←ちゃんと呼吸しろ

バシバシ鞭打たれる馬がかわいそうで。

そしてメッサラのせいで壊れる馬車と巻き込まれる人、その上を駈けぬけていく馬というのが、本当に臨場感があって、自分もレースの観客になっているかのように手に汗握りました。

 

ローマの奴隷として鎖に繋がれ、水も与えられず歩いている時、通りすがりのキリストに水を与えられるジュダでしたが、『アラビアのロレンス』を観たときも思ったのですが、急に水をがぶがぶ飲んでお腹痛くならないのかなあ。

お腹弱弱芸人の私だけかしら、そんな心配するの。

 

あと、どうしてもジュダの顔がユダヤ人に見えなくて困りました。

どこからどう見ても1950年代のアメリカ人の髪型ですよね。

 

映画の本筋に話を戻すと、ユダヤ王家につながる名門の生まれのジュダが、メッサラに陥れられてローマの奴隷となり、過酷な環境で一年しか生きられないと言われたガレー船の漕ぎ手として3年生き延び、ローマ貴族の命を救ったことからローマの上流社会に受け入れられるという、天国→地獄→天国の流れまではすごく面白かったです。

そこから、行方不明の母と妹を探しにエルサレムに戻るところも。

 

ところが、彼が不在の間彼の家を守ってきた元奴隷のエスターがキリストに傾倒していくあたりから、ちょっとついていけなくなりました。

キリストの教えを実践するのはいいのですが、強引すぎ。

ジュダの母と妹は牢屋に入れられている時に業病にかかり、人目を避けて生きているのですが、キリストに会わせさえすれば何とかなると、強引に連れ出そうとする姿には、恐怖さえ感じてしまいました。

結果何とかなったのですけれど、あの時のエスターの顔は、人ではない何かのように感じられました。

 

でもって一番言いたいのは、CGの無い時代に作られた映像の迫力。

延々と続くローマ兵士たちの、奴隷たちの行進シーンも、ガレー船での海戦シーンも、四頭立ての馬車がぶつかり合う競争シーンも、すべて人や動物の体が作り上げたものなのだ。

重さが持つ迫力というのかなあ。

痛みまで伝わってくるような気がしました。