4月20日(日)

 

初めてもらった手紙は誰から?

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多分幼稚園の時に、サンタさんからもらったお手紙が初めてだと思います。
書いたのも、サンタさん宛てが初めて。
 
もう忘れてしまいましたが、たぶんお高いキラキラしたおもちゃを所望したのですが、サンタさんがくれたのは折りたたみできる小さな木琴。
そんなもの、存在すら知らなかったよ。
で、サンタさんは「これをじょうずにひいて、いつかきかせてね」的なことを書いておりましたが、木琴に愛がない私には、絶望しかなかったな。
 
すぐ下の弟は、透明な色付きのピンを黒い紙にさして、裏からライトを当てて光る絵を作るおもちゃをもらっていて、多分サンタさんはこれに予算の大半を費やしたと思われる。
「なんで弟ばっかり!」と憤慨する私に、サンタさんに成り代わって親が言うことには、私は常日頃からいろんなものに興味を持って欲しがりすぎる。
普段何も欲しがらない弟が珍しく欲しがったおもちゃだから、サンタさんは買ってあげたんじゃないかな?
 
その言葉が引き金になって、物欲のない現在の私が出来上がりました。
欲がない…は言いすぎか。
本当にこれが欲しいのか?手に入れるタイミングは今なのか?あとからもっと欲しいものが出てくる可能性はないのか?
等考えて、「欲しい」と口にできない人間になりました。
我慢ができる良い子です、とも言えるが。
 
最近、机の引き出しの奥から発掘した、いわさきちひろのレターセット。
手紙を書いて、封筒に宛名を書こうと思ったら、郵便番号のマスが5つしかありませんでした。
いつの時代のレターセットだよ。
と、思いながらも、郵便番号のマスの下に7桁の数字を書いて送りました。
学生時代に買ったSTAR WARSのレターセットもきっと…。
 
 
 
本日の読書:トオリヌケ キンシ 加納朋子

 

Amazonより

『人生の途中、はからずも厄介ごとを抱えることになった人々。でも、「たとえ行き止まりの袋小路に見えたとしても。根気よく探せば、どこかへ抜け道があったりする。」(「トオリヌケ キンシ」より)他人にはなかなかわかってもらえない困難に直面した人々にも、思いもよらぬ奇跡が起きる時がある――。短編の名手・加納朋子が贈る六つの物語。』

目次
・トオリヌケ キンシ
・平穏で平凡で、幸運な人生
・空蝉
・フー・アー・ユー?
・座敷童と兎と亀と
・この出口の無い、閉ざされた部屋で

どうして本屋大賞は加納朋子を選ばないんだろう?
私は結構彼女の本に背中を押されて前向きになれることがあるんだけど、いい年をして私が単純すぎるのかなあ。

短編はどれも、それぞれ生きていくにはちょっとしんどい、けれど人には人には伝わりにくい困難を抱えた人が出てくる。
「場面緘黙症」「共感覚」「ネグレクト」「相貌失認」「醜形恐怖症」「半側空間無視」など。

本人が一人で悩んでいるうちは、それはとてもつらい。
でも、傍で支えてくれる、見守ってくれる、一緒に歩いてくれる人がいたら、少しは楽になるかもしれない。

出来すぎな話?
そうかもしれない。
本当の人生は、そんなものじゃない。
でも、ふわふわと生きているわけじゃあないのだ。
しっかりと生きようと思うから、辛いのだ。
『この出口の無い、閉ざされた部屋で』について言えば、作者自身がこの部屋から出てきた人だから。

好きなのは、『平穏で平凡で、幸運な人生』。
確かに主人公が葉山先生と出会えたのは、最強に幸運だったと思う。
逆に読んでいてつらかったのは『空蝉』。
子どもが辛い目に合う話は、読んでいてやっぱり辛い。
結果的に状況は改善したとしても、長いこと辛い思いをしてきた時間はやり直しがきかないのだし。

それでも、一番短い話だけど、本のタイトルを『トオリヌケ キンシ』にしたのは正解だと思う。
”たとえ行き止まりの袋小路に見えたとしても、根気よく探せば、どこかへ抜け道があったりする。”

どうして本屋大賞は加納朋子を選ばないんだろう?