3月27日(木)

 

10さんから、「9月にカーリングの大会が稚内であるんだけど、一緒に行かない?」

断る。

カーリングの試合は寒いし長いのだ。

私には無理。

 

なんでまた誘ったわけ?

「ご飯を一人で食べるより、一緒に食べたほうがいいかなと思って…」

じゃあさ、時間を決めてLINEのビデオ通話で顔見ながら食べる?(そこまでしたい?)

同じものを食べたいというのなら、チェーン店の料理ということになりますが。

「いや、そういうことじゃなくて…。」

 

10さんは野寒布岬(ノシャップ岬・宗谷岬じゃないほうの岬)にある温泉宿に泊まろうと思ってたそうです。

まあ、そこに泊まってもいいんだけどさ、試合を見に行く道すがら、わたしを稚内駅近くで降ろしてくれない?

帰りももちろん時間を合わせて拾ってちょ。

そうしたら、水族館や博物館に行って時間潰しているからさ。

9月の稚内は多分もう寒いので、外を観光するよりもその方が私の体力的にいいと思うの。

 

「考えとく」だって。

稚内はホテルも外食も高いんですよ。

一人で3日くらい行ってくればいいのにねえ。

今週はひとりでコンサの応援に行くみたいだから、徐々に一人行動ができるといいよね。

 

 

 

 

本日の読書:古池に飛びこんだのはなにガエル? 短歌と俳句に暮らす生き物の不思議 稲垣栄洋

 

Amazonより
『短歌と俳句は、生き物に注目すれば、もっと面白くなる!『生き物の死にざま』『はずれ者が進化をつくる』などベストセラー多数!短歌も詠む人気の生物学者による新しい短歌&俳句鑑賞の手引き』

ふと目に着いた『古池に飛びこんだのはなにガエル?』という書名。
こういう、誰も気づかないようなところに疑問を感ずることができる人を、尊敬しています。

さて、件のカエルはなにガエルだったのかというと、ツチガエルであるというのが定説のようです。
普段は陸にいるが、危険を察知すると水に飛びこむ習性をもったツチガエルとは、俗にイボガエルと呼ばれているカエルのこと。
芭蕉の時代、歌に詠むカエルといえば鳴き声のきれいなカジカガエルが一般的だったのだそうですが、そういう定番の美しさではなく、見たまま聞こえたままを詠んだ中に詫び錆を感じさせたのが芭蕉のすごさ、と言われれば確かにそう。

同じく「山路来て何やらゆかしすみれ草」という句も、すみれは野に咲く花であるという固定概念を無視して、実際に旅の途中に山道で観たのであろうすみれを詠んだもの。
これは、革命的なことだったのだそうです。

そういう、俳句や短歌の味わいを動植物を通じて解説してくれると同時に、例えばモンシロチョウはアブラナ科の、モンキチョウはマメ科の植物の蜜しか吸わない、という生物の不思議についても解説してあり、脳内「へぇ~ボタン」を連打しまくり。

しかし、作品の優劣については述べられていないのがちょっと不満。
例えば夏目漱石の「初蝶や菜の花なくて淋しかろ」という句は、私にとっては小学生にも作れそうな駄作のように思えるのですが、文学的にどうなんでしょう?
漱石の句はいくつも掲載されていますが、ということは漱石は割と観察眼が鋭いということなのかもしれませんが、対していい句だとは思えないのです。
芥川龍之介の「青蛙おのれもペンキぬりたてか」にしても、しかり。
芭蕉の句のように、ここが素晴らしいポイントだよ、と教えてほしかったです。

河東碧梧桐の「赤い椿白い椿と落ちにけり」は、私は「赤い椿が落ちて、白い椿も落ちた」と順に落ちたと解釈していましたが、もうひとつ、「赤い椿も白い椿も落ちた」という解釈があって、どちらとも言えないのが現状だそうです。
そして、椿は花が丸ごとポトリと落ちるから武士は縁起が悪いと嫌っていた、というのは後から言われた説で、実際にはそこが潔いと、武家屋敷にも植えられていたんですって。

私の好きな与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の月は、満月。
なるほど、脳内に浮かぶイメージの解像度がぐんと上がりました。
やっぱり何でも知っておくのは大切だよね。満足。