1月26日(日)
 
先週の火曜の夜、炊飯器が壊れました。
いつものようにご飯が炊きあがるのを待っていたのですが、いつまでたってもピーっという音がしません。
とっくに炊き上がっているはずなのですが、炊飯器を見ても何のランプもついていません。
蓋を開けると、美味しそうにご飯は炊けています。
でもそれが、彼(?)の最後の仕事でした。
 
緊急夫婦会議の開催を提案しようと思ったら、すでに10さんは家電量販店に勤める次男に問い合わせ済み。
「三合炊きくらいで美味しく炊ける炊飯器は?」
結果、総合力ならバーミキュラ、炊飯だけで余ったご飯は冷凍するなら三菱化タイガーという回答。
 
実は私、結構前から、炊飯器が壊れたら鍋でご飯を炊いて、余ったのは冷凍保存すればいいのでは?と思っておりました。
というのも、高校生くらいまで私の実家では鍋でご飯を炊いていたので、時間に追われない今の生活なら炊飯器いらんな、と思っていたのです。
ましてや冷凍ごはんも美味しく解凍できる時代、わざわざ電気代かけてまで保温しなくてもいいかな、と。
 
それでも、スイッチを押せば炊き上がるまで何もしなくていい炊飯器のメリットも捨てがたい。
というわけで、家電量販店に行ってみたけど、内釜が重くていい感じの炊飯器はやっぱり高い。
 
炊飯鍋がどこで売っているのかわからんけど、一応キッチン雑貨の店も回ってみた。
ストウブの鍋なら間違いなくおいしく炊けそうだけど、いかんせん鍋が重い。
毎日鍋を洗うたびにうんざりするのも業腹だ。
土鍋でよかろう?と思われる方もいらっしゃるかと思うけど、我が家はIHなので、土鍋だと毎日カセットコンロを使わねばならない。
となると、カセットガス代もばかにならない。
 
というわけで、ホームセンターで見つけたのが、無水鍋。
上記の逃げる穴もなければ、蓋自体が重いのもよし。
そして鍋本体はさほど重くはない。(年寄りにはこれ大事)

 
しかし私が実家でご飯を炊いていた時はガスの直火だったので、なべ底にどのくらい火を当てればよいかとか、視覚情報が大事だったのですが、IHはそれがない。
とりあえずしばらくは試行錯誤でご飯を炊いて、どうしても美味しく炊けないのなら炊飯器を買おうということになりました。
買った鍋は無水カレーでも作ればいいし。
 
見た目は何の問題もなく炊けました。
しかし、ここからLab.が始まるのです。

 
1月23日
お米を、炊く1時間前に研いで冷蔵庫に入れていたものをメモリ6で5分、鍋の蓋がゴトゴトいいだすまで熱する。
メモリ5で3分、蓋が落ち着きだすまで。
メモリ2分で12分弱火で熱して、その後10蒸らして完成。
見た目は何の問題もないけれど、少し芯が残っている。

 
1月24日
前日のご飯に少し芯が残っていたので、弱火を15分に変更。
ところがIHの小賢しさ。
10分すぎると勝手に切れてしまう。
もう一度スイッチを入れに行くのは、面倒くさい。
若干のおこげは、美味しい。

 
1月26日
弱火を10分で終わらせるために、メモリ5を4分にしてみる。
多分これで芯がなくなるのだろうと思う。
とりあえず今日の炊き方でしばらく続けるつもり。
IHのいいところは、火加減を数値化できることなので、私が不在の時でも10さんが同じように炊けることが肝心。

 
ひとつ、まったく考慮していなかったことが発生。
冷凍ごはんを解凍して食べると、炊飯器で炊いたご飯を冷凍したときよりお米の粘りが強い。
多分ゆめぴりか並み(食べたことないけど)
道産米で育った私は、お米にあまり粘りを求めていなくて、ななつぼしでも結構ねばりが強いなあと思っていたくらいなので、ちょっと有難迷惑のような。
でも、一般的な嗜好から言うと、やっすいお米を買って炊いても高級ブランド米くらい美味しく食べられるということになるのかもしれない。
 
一応今は2合炊いて2回に分けて食べているけれど、今後は3合炊いたらどの程度美味しいかも確認してみるつもり。
炊事というより研究なり。
 
 
 
 
本日の読書:三国志 十二の巻 霹靂の星 北方謙三

 

カバー裏より

『英雄は去り行く。劉備の遺志を受け継いだ諸葛亮は、疲弊した蜀の国力を一年で回復させた。蜀に残された道を進むべく、孔明は、自ら豪族たちの蔓延(はびこ)る南中の平定を目指す。一方、大軍を率いて呉に大敗した魏帝曹丕は、周囲の反対を押し切り、再び広陵への親征を強行する。だが、度重なる敗戦は彼の身体をも蝕んでいく。魏の侵攻を悉く退け、さらなる飛躍の機を伺う陸遜。孔明の乾坤一擲の北伐策に、その武勇を賭ける趙雲。残された志に光は射すのか。北方〈三国志〉慟哭の第十二巻。』

本文よりも、カバー裏のあらすじの方がよほど熱い。
『出師の表』も、読み上げたシーンはあるものの、そして聞いていた人たちが感動で涙を流したシーンもあるけれど、肝心の孔明が想いをこめたその文章が一行たりとも出てこない。

司馬懿は特に野心家なわけではなく、副官に三国の上に立てと徐々に洗脳されていくみたいだし、孫権は…本当に存在感がない。

そして再び孔明よ。
関羽が死んだ際、自分が敵だったらこうするという考えを伝えておけば…と後悔したはずなのに、今回もまた多くを語らなかったがゆえに馬謖を誤らせた。
細かな作戦を明かさなくても、なぜここを守ることが必要であるのかを伝えておけば、馬謖が山に登ることはなかっただろう。

兵は命令を守るだけ。考えはしない。
というのが、当時の考え方であるのならば、何事も考えてしまう性質である馬謖には、考えるべき方向性くらいは示唆すべきであったと思う。
やはり孔明は軍師ではない。