10月20日(日)

 

日ごろあんまりドラマを見ないのだけれど、この秋はずいぶん(当社比)見ることになってしまった。

 

『嘘解きレトリック』は何十年ぶりの月9だろう。

原作の漫画が好きだったので、これはドラマ化が決まった時から楽しみにしていた。

主人公の母親以外は原作のイメージ通りなので、世界観を壊さず進めてほしい。

 

『宙(そら)わたる教室』。

小説が原作の場合、先に小説を読んでから映像化作品を見ることが多いのだけれど、これは先に映像のほうがいいだろうと思った。

だって理科の実験なんて、文字で読むより絶対映像で見たいじゃん。

 

『ゴールデンカムイ』。

やっぱり大画面で見る迫力がない分、映画に比べて小粒感は免れないが、とにかくキャストがいい。

第2話の萩原聖人なんていくところまでいっちゃってて、サイコパスぶりに震えればいいのか笑えばいいのかわからん。

ストーリーには突っ込みどころ満載なんだけど、今のところ全然許せる。

 

大体一つのクールでドラマを一つかせいぜい二つくらいしか見ないのに、今回三作品ですよ!と思っていたら『相棒』が始まった。

 

一週間ににドラマ四作品だなんて絶対渋滞起こしそうなのに、10さんが忙しいので今のところ『ゴールデンカムイ』以外は一話しか見ていない。

11月はドラマ三昧だなあ、きっと。

 

 

 

本日の読書:よって件のごとし 三島屋変調百物語八之続 宮部みゆき

 

カバー裏より
『江戸は神田の袋物屋・三島屋は風変わりな百物語で知られている。語り手一人に聞き手も一人。話はけっして外には漏らさない。聞き手を務める小旦那の富次郎は、従妹であるおちかのお産に備え、百物語をしばらく休むことに決めた。休止前最後に語り手となったのは、不可思議な様子の夫婦。語られたのは、かつて村を喰い尽くした〈ひとでなし〉という化け物の話だった。どこから読んでも面白い!宮部みゆき流の江戸怪談。』

目次
・賽子(さいころ)と虻
・土鍋女房
・よって件のごとし

日本の神様って、あらゆるところに存在して、様々な姿かたちをしているのに、やることがどうにも人間臭い。

『賽子と虻』は、主人公たちの村で信仰している神・ろくめん様の、賽子賭博での大負けがそもそもの話の発端となる。
ろくめん様は、賭けの相手である虻の神を一緒に祀ることで負けをチャラにしてもらうのだが、巡り巡って主人公の餅太郎の姉が虻の神に祟られ、死に瀕する状態になる。
大好きな姉を救うため、餅太郎は姉の祟りを飲み込み、神様の賭博場で神様たちのお世話をすることになる。

この餅太郎が、読んでいると「幸福の王子」に思えてくる。
自分だって決して恵まれているわけじゃないのに、つい困っている人のために後先考えずに動いてしまうのだ。
いつの日か家族のもとに帰れることを夢見て、餅太郎は毎日を誠実に生きるのだけど、その終焉は突然で、しかも想像だにしなかった理由からだった。

この世界に戻ってきた餅太郎は結局家族と会うこともかなわず、燕の神様を助けたときに萎えてしまった足は今もよく動かせず、年よりよりも働きが悪い。
あんなにいい子の餅太郎の行く末がこれか、と思うと、神も仏もないような気がするけれど、結局神も仏も人間が信心しない限りは存在すらできないのだよという虚無感は作者の絶望なのだろうか。

『よって件のごとし』も、降ってわいた災厄に立ち向かい、生き延びることのできた話だけれど、結局災厄の原因もわからなければ、今後起こらない保証もないわけで、それは地震や火山の噴火のような自然災害であれ、原発事故のようなある意味人災のようなものであれ、今を生きる私たちにも突き付けられたナイフのようなもの。

3つの話はどれも長いスパンの物語で、その中で幸せだった時もあったのだろうけれど、どうにも終わり方がスッキリしない。
救われていない。

これが聞き手の富次郎の問題なのか、作者の問題なのかは今後を読んでいかないとわからないなあ。