10月1日(火)

 

今日は起床のため動き始めてから立ち上がるまで、20分。

毎週火曜日は、起床時に骨粗しょう症の薬を飲まなければなりません。

その後30分は姿勢を正して過ごし、飲食厳禁なので、5時半に骨粗しょう症の薬を飲む。

30分を椅子に座って過ごし、6時に下剤を飲む。

その後朝食まで、ダイニングテーブルに突っ伏してうとうと。

毎日眠りが浅いので、いつも以上に常に眠いのです。

 

いろいろ考察するに、今の腰の痛みは2種類あることに気づきました。

 

一つは、どんな姿勢になろうとも紛れることのない鈍痛。

これが骨折の痛みだと思います。

 

そしてもう一つは、何らかの動きに伴って突然襲ってくる激痛。

これに襲われると「痛い!痛い!」と叫んで体を固くし(勝手になるし)、痛みが引くまではどこの向きにも体を動かすことができません。

これが怖いので、体を動かすことに慎重にならざるを得ません。

この痛み、多分ぎっくり腰の痛みと同じなのではないかと思います。

ぎっくり腰になったことはありませんが、知人などから聞いた話とよく似ているように思えます。

 

調べると、ぎっくり腰って原因不明ですが、1週間から10日くらいで痛みは自然となくなるそうです。

よかった、よかった。

なくならない場合は、圧迫骨折などの疑いあり…って、圧迫骨折なんですけど、10日じゃ痛みが引かないってこと?

やばい。

 

それでも痛みの頻度も強度も、だいぶん軽くなってきているような気がします。

それから、椅子から立ち上がる時のコツもわかってきたので、それもちょっと楽になってきたかも。

腰に力を入れて立とうとすると(それが自然なのですが)、ぎっくり腰の痛みが来るので、腰の角度は座った時のまま足だけ伸ばしおしりを持ち上げます。

おしりさえ持ちあがったら、あとはゆっくり時間をかけて腰を伸ばせばいいだけです。

 

鈍痛はうっとおしいけれど我慢はできる。

ぎっくり腰のほうがつらい。

そして座っているより横になっているほうが体は楽だけど、立ち上がる時にぎっくり腰の痛みに襲われるのではないかという恐怖が結構大きくて、昼間のシャワーのあと(一番体が楽な時間帯)2時間ほど横になったら、あとは椅子生活です。

 

そろそろ寝るときはコルセット外そうかな。

寝る前の水分は控えて、6時間くらい横になって寝られたら、明日はだいぶん楽になるような気がしています。

 

この安い踏み台をオットマン代わりにして足を載せると、ずいぶん楽にすごせます。

 

 

 

 

本日の読書:三国志 三の巻 玄戈の星

 

カバー裏より
『混迷深める乱世に、ひときわ異彩を放つ豪傑・呂布。劉備が自ら手放した徐州を制した呂布は、急速に力を付けていく。圧倒的な袁術軍十五万の侵攻に対し、僅か五万の軍勢で退けてみせ、群雄たちを怖れさす。呂布の脅威に晒され、屈辱を胸に秘めながらも曹操を頼り、客将となる道を選ぶ劉備。公孫瓚を孤立させ、華北四州統一を目指す袁紹。そして、曹操は、万全の大軍を擁して宿敵呂布に闘いを挑む。戦乱を駈けぬける男たちの生き様を描く、北方〈三国志〉第三巻。』

ただの暴れん坊呂布だったはずが、ここまで作者の熱い思いを託されて、最上等の漢(おとこ)になったよ。
もはや袁紹どころか曹操まで小物に見える。
死にざまも、彼としては義を貫いた形だったのだろう。
そしてそんな呂布の思いを、赤兎はしっかりと受け止めた、と。

これ、三国志の本流の話じゃないのに、ほとんどこの巻のメインの話だった。
袁紹袁術兄弟については、家名に胡坐をかいた小物扱いなのはいいとして、曹操の扱いの軽さが、本当にがっかり。

北方謙三は漢(おとこ)を書きたい人なのはわかるし、戦闘シーンの血沸き肉躍る描写には本当にワクワクするけれど、曹操が帝を擁していること、その意味と実態がほとんど書かれていない。
唯一、屯田が成功して、兵田だけではなく民田も十分な収穫があり、民を植えさせる心配はないということのみ。

私が曹操を好きなのは、大勝もするけれど大敗もする武将としてより、為政者としての腕の確かさ。
ここが全然書かれていないので、物足りない。
こんなにあちこちで戦が起こっているのに、曹操は自分の足元を戦場にはしないんだよ。
これ、民を食わしていくためには大事なことじゃん。

それから『徳の将軍』劉備について。
一番初めに自分を見出して世の中に名を知らしめるきっかけをくれた公孫瓚が助けを求めているのに、「そういう気になれなかった」という理由で見捨てる男が『徳』ですか。
関羽と張飛と趙雲がいて目が出ないのは、ひとえに劉備が無能だからじゃないの?
なんで人気があるんだかわからん。