9月23日(月)

 

どこのスーパーに行ってもスーパーが高い。または、ない。

激安スーパーの店長さんが言うことには、関東に台風が直撃したからレタスが全滅して、北海道のレタスは東京の飲食業界に全部持っていかれたのだ、と。

 

食品ロスをなくすのはいいことだと思う。

私も極力食べ残しはしないように、冷蔵庫にあるものは使い切るようにと心がけている。

 

けれど、それと、必要量ギリギリしか生産しないような農業政策は違うと思う。

この間の米騒動も、結局のところいざという時の手持ちの余裕がないことに起因する。

備蓄できるものとできないものという違いはあるだろうけれど、なんとかローリングして消費しながらある程度の貯えをしておくべきなのではないか。

 

農産物も海産物も工業製品ではないのだから、今必要だから今増産しろと言っても無理な話。

ましてや災害大国日本、異常気象続きの近年、いつまでも当たり前に食べるものがあると思うなよ。

日本に米がなかったら外国から買えばいいの?

東京にレタスがなかったら北海道から買えばいいの?

多数決で、都会の論理だけでやってきたつけが、最近一気に押し寄せてきたんじゃないの?

調理してしまうと日持ちしなくなるので、食品ロスは出ないように調整しつつ、余裕を持った生産計画を国は立てるべきだと思う。

 

ってなことを考えながら、レタスひと玉を買って帰って、外側の葉をめくったら茶色く変色した穴だらけだった。

高いので捨てるに忍ばず、生食はあきらめてレタス炒飯にしようと引き続き葉をむしっていたら、原因発見。

小さな虫が中から出てきました。

多分商業用のレタスが出払って、農家さんのご家庭用の無農薬レタスまでもが店頭に並んだのだと思います。

虫食いということは美味しいこと確定。

10さんに虫を摘み取ってもらって、食べられそうなところは火を通しておいしくいただき中です。

 

 

紅葉のニュースが始まったと思ったら、初雪や初冠雪のニュース。

急激に変わる北海道の気温についていけず、若干風邪気味です。

残暑厳しいという日本列島。

狭いようで大きいですね。

 

 

 

 

本日の読書:空ばかり見ていた 吉田篤弘

 

Amazonより
『旅する床屋をめぐる風変わりでうつくしい余韻のある作品集。現実と夢想がゆるやかに混じりあい、濃密な物語の世界へと誘います』

目次
・七つの鋏
・彼女の冬の読書
・星はみな流れてしまった
・モンローが泊まった部屋
・海の床屋
・アルフレッド
・ローストチキン・ダイアリー
・ワニが泣く夜
・水平線を集める男
・永き水曜日の休息
・草原の向こうの神様
・リトル・ファンファーレ

流しの床屋・ホクトが登場することだけが共通点の連作短編集かと思ったら、最後の最後にきれいに着地してくれました。
緻密に構成された物語の順番。
それは時系列ということではなく、語られる内容が。

最初の方の話は、手を伸ばせば届きそうなくらいの身近な話。
少しずつ物理的な距離、精神的な距離、世界観の距離を感じながら、最後にひゅんと収束する。

森博嗣と吉田篤弘、そして時折小川洋子には、文章を読んでいると内容に関係なく数学を感じることがある。
計算されつくした切り取り方の美しさ。
詩って数学だよなあ。

もし若い時に『彼女の冬の読書』を読んでいたら、仕事を辞めていたかもしれない。
一年に9か月だけ働いて、冬は読書しかしない。
こころから憧れる生活スタイルだけど、年を取って知ってしまう。
日々のあれこれって、決してまとめてやっつけてしまうことはできないのだ。

「美しさが、しばしば悲しみと共にあるのはなぜか。(中略)美しさはいつまでも永遠であってほしいが、悲しみには終わりが必要になる」

それから、海外に住む親の看病のため、年末年始のひと月不在の妻の留守を守る夫の話である『ローストチキン・ダイアリー』も好き。

娘のために、アドベントカレンダー代わりに紅茶のティーバッグの中に毎日一つの仕掛けをして行った妻。
翻訳家の夫は家事のスキルが多分それほど高くはないけれど、頑張って娘に寂しい思いをさせないようにしている。
だけどクリスマスにはチキンを焼かねばならないのか…それってなぜかタコ糸が必要なんだよね…とちょっと気が重くなったころ、ヒントのような何かがティーバッグから出てくるのだ。

こういうのって、心に余裕がないと作れない。
だって、彼女のその仕掛けは、いつも夫や娘の心に必要なものを間違いのないタイミングで現れるから。
離れていても、心は繋がっているんだなあって。
妻は生きているんだけれど、父と子のちょっと不器用な毎日が、マンガ「Papa told me』を髣髴させる。