7月23日(火)
今晩から木曜日くらいまで雨が降ったら、気温も30℃までいかなくなるようなので、あともう少しの辛抱らしいのですが、暑いのです。
朝から料理のために火を使うのが嫌なので(我が家はIHなので、実際には火を使いませんが、気分の問題)、今朝の朝食は全く火を使わないものになりました。
シリアル、サラダ、さくらんぼ、写ってないけどヤクルト。
10さんはえらいので、おひるはそうめんをゆでてくれます。
私は根性なしなので、ダイニングにまな板と包丁を持って行って、薬味を刻んだりめんつゆを調合したりする係です。
10さんはえらいので、晩ご飯もみそ汁や、厚揚げ焼など、温かいおかずをちゃんと作ります。
私は…明日もたぶん電子レンジを駆使して火の前から逃れる所存。
一人暮らしなら断食するレベルで、ご飯食べたくない。
ラクダ並みに、食べなくても体型を維持できる能力がある。
寝苦しいということがない。むしろ起き苦しい。(寝てるほうが楽)
あれ?むしろ夏のほうが省エネに生きられるのでは?
本日の読書:まだ遠い光 家族狩り 第五部 天童荒太
連続一家惨殺犯については予想通り。
しかし、その理由というのが実に実にひとりよがり。
善良な人を不幸にするような種を持つ人を、事前に処分する。
そんな権利を持つ人間なんて、一人もいないはず。
なぜ自分には他人を断罪する権利があると思えるのか。
それは、自分の行いを正当化しようとしているから。
最初は、苦し紛れの殺人だったはずだ。
けれどいつしかそれは、救済のための行いであり、愛ゆえの行為であるということにすり替えられてしまった。
だから自分の意志で止めることができない。
だって善行なのだから。
思えば主要登場人物たちは皆、家族に問題を抱えていた。
その問題ごと、受け入れることができたとき、彼らは前に踏み出すことができたし、それによって家族の在り方も変わっていくことができた。
犯人は受け入れることができなかった。
自分の家族を狩ってしまった犯人は、他人の家族をも狩り続けた。
傍から見ればどうしようもない男であった駒田でも、娘から見たらたったひとりの家族であり、大好きな父親だった。
それを、自分勝手な論理で殺してしまう犯人は、すでに人として壊れている。
一冊一冊面白く読んだけれど、間を開けての読書のせいか、登場人物たちの心の動きがよくわからないことが結構あった。
浚介の立ち直っていく様子は理解できるのだけど、游子とは最初反発しあっていたはずなのに、いつの間に惹かれあっていたのか?
亜衣が俊介を頼る瞬間も唐突に感じたし、教師を辞めて、バイトもやめて、どうやって暮らしの糧を得ているのかもよくわからない。
もっと一気にガっと読むべき作品だったのだろうか。
カバー裏より
『浚介は游子の病室を訪れた。二つの心は、次第に寄り添ってゆく。山賀と大野は、哀しみを抱えた家の扉を叩く。ふたりの耳は、ただひとつの言葉を求めている。冬島母子をめぐり争い続けてきた、馬見原と油井。彼らの互いへの憎しみは、いま臨界点を迎えている――。悲劇によって結ばれた人びとは、奔流のなかで、自らの生に目覚めてゆく。永遠に語り継がれる傑作、第五部=完結篇。』連続一家惨殺犯については予想通り。
しかし、その理由というのが実に実にひとりよがり。
善良な人を不幸にするような種を持つ人を、事前に処分する。
そんな権利を持つ人間なんて、一人もいないはず。
なぜ自分には他人を断罪する権利があると思えるのか。
それは、自分の行いを正当化しようとしているから。
最初は、苦し紛れの殺人だったはずだ。
けれどいつしかそれは、救済のための行いであり、愛ゆえの行為であるということにすり替えられてしまった。
だから自分の意志で止めることができない。
だって善行なのだから。
思えば主要登場人物たちは皆、家族に問題を抱えていた。
その問題ごと、受け入れることができたとき、彼らは前に踏み出すことができたし、それによって家族の在り方も変わっていくことができた。
犯人は受け入れることができなかった。
自分の家族を狩ってしまった犯人は、他人の家族をも狩り続けた。
傍から見ればどうしようもない男であった駒田でも、娘から見たらたったひとりの家族であり、大好きな父親だった。
それを、自分勝手な論理で殺してしまう犯人は、すでに人として壊れている。
一冊一冊面白く読んだけれど、間を開けての読書のせいか、登場人物たちの心の動きがよくわからないことが結構あった。
浚介の立ち直っていく様子は理解できるのだけど、游子とは最初反発しあっていたはずなのに、いつの間に惹かれあっていたのか?
亜衣が俊介を頼る瞬間も唐突に感じたし、教師を辞めて、バイトもやめて、どうやって暮らしの糧を得ているのかもよくわからない。
もっと一気にガっと読むべき作品だったのだろうか。

