6月25日(火)
子どものころ、うどんといえば鍋焼きうどん一択でした。
風邪をひいて熱を出した時にだけ食べられるごちそう。
学生時代、初めてきつねうどんとか、それ以外のうどんを知って驚きましたが、一番びっくりしたのは冷たいうどんという存在。
これはもう結構大人になってから知りましたね。
東京で単身赴任中は、夏の晩ご飯はほぼ冷たいうどんでした。
多分独り暮らしになったら、主食はうどんになると思う。
温かくても冷たくても、夏でも冬でもOK。
逆に、子どものころ、そうめんや冷や麦が嫌いでした。
酸っぱいのが苦手だったので、冷やし中華も好きではありませんでしたが、それよりもそうめんや冷や麦が嫌。
なぜなら、具がないから。
水道水で冷やした麵と、麺つゆを割っただけのつゆ。
薬味なし、具なしだから、すぐ飽きる。
お腹は全然満足していないのに、口が飽きちゃって食べられない。
我が家は間食という習慣がなかったので、次の食事までの長い時間が苦痛で苦痛で。
大人になって知った、温かいそうめん「にゅうめん」の存在!
特に札幌では、鶏出汁で鶏肉を具にした「鶏めん」というのがたまに居酒屋さんのメニューにあるのです。
次男がサッカーの練習で遅く帰った時などは、消化にいいのでよく作りました。
あんまりおいしそうに食べるので、自分でも食べてみたら「あら、おいしい」。
そうめんも冷や麦も、今では冷たかろうが温かろうが美味しくいただきます。
自分で麺つゆ作って、薬味や具も用意して食べれば、控えめに言っても大変美味しい。
全ての麵を等しく愛せるような、懐の深い麺オタクになりたいものです。
本日の読書:ちいさなもみのき マーガレット・ワイズ・ブラウン さく バーバラ・クーニ― え
Amazonより
『小さなモミの木は、ある日、男の人によって掘り出され、家へと運び込まれました。その家には病気で歩けない男の子がいたのです。男の子とモミの木はクリスマスを一緒に過ごします。そして冬が終わるとモミの木はまた森に返されるのです。それから何年もクリスマスが来るたびに、モミの木は男の子と共に楽しく過ごしました。けれど、ある冬、いつになっても男の人は、モミの木を掘り出しにはきませんでした。男の子が心配でたまらないモミの木は……。』
男の人がもみの木を家に持ち帰るために森に来た。
てっきり切り倒すのかと思ったら、病気で歩けない自分の坊やのために連れて帰るのだ、と。
大きな穴を掘り、丁寧に根を包みこんで、家に持ち帰る。
そのまま小さなもみの木は、坊やのそばで一緒に大きくなるのかと思ったら、春になったら森に返してもらえた。
そして、冬になるとまた、坊やのそばでクリスマスツリーとして冬を過ごすのだった。
文章も絵も、シンプルだけれど濃やかで、温かくて、うっとりその世界に浸っていたら、ある年の冬、いつもは連れに来てくれる時期になっても、誰も来なくて…。
”クリスマスなしでは、このよは、ただ、おおきく、つめたく、からっぽにみえました。”
欧米の人の考えるクリスマスは、日本人の考えるクリスマスより、よほど大きく大切なものなのでしょう。
そしてもちろん、大人が考えるような悲しい結末にはなりませんでしたよ。

