6月11日(火)

 

今日は父の2度目の入院の退院日。

当初の予定では11日の10時退院と言われていたのに、病院の都合で12日にされそうになって、結局病院側から「11日の3時でどうでしょう」と言われ、了解する。

了解した。

のにさらにその次の日、「ご本人様が早く帰りたいという意向なので、検査を前倒しすることにして、11日の10時にお迎え出来ますか?」と電話が来る。

 

一周回って、当初の予定通りの退院となりました。

 

病院は実家から直線で300mくらいしか離れていないので、いつもは歩いて通院している。

でも、入退院時は荷物が多いので、さすがにそれを持って一人でふらふら歩かせるわけにはいかないと、私がつき添っているのだけれど、父にはそれが理解できない。

歩いて帰れるから、誰にも迷惑はかけないと思っている。(調整してくれている病院の担当者の苦労には、みじんも気づいていない)

 

そして、補聴器を持たずに入院したので、いろんな注意事項がスルーされている不安がある。

次回の通院について、家に帰ってから私が紙に書いて説明すると、「大事なこと、何も教えてくれない」と文句を言うが、絶対父の耳のせいで聞こえていないだけで、何度も説明していると思う。

それでも2度目の入院なので、退院手続きも前回よりはるかにスムーズでよかったです。

 

入院のときは、最終チェックに時間がかかるので早めに家を出ますが、今回は退院のお迎えだったのでそれほど早く家を出る必要がないのに、間違えて早めに家を出ちゃった。

私も少々混乱しているようです。

でも、10さんが道を間違えてくれたおかげで、ぐるっと遠回りをすることになり、いい感じの時間に病院に着けてよかった。

次の入院の結果で、いろいろ今後の生活について決めなければならないと私は思っているのだけど、弟はどうなんだろう…。

 

 

 

 

 

本日の読書:ピュア・ラブ 3 飛翔篇 宮内婦貴子

 

「BOOK」データベースより
『至高の純愛物語、号泣の完結編。』

木里子と陽春の恋愛がとうとう成就する最終巻。
彼らの恋の障害になったのは、木里子が白血病にかかり再再発の可能性があるということと、陽春が修行中の禅僧であるということのみ。
そのうち、陽春については修行中の禅寺から帰山し、龍雲寺の副住職になるということで妻帯できることとなった。

からの最終巻は、木里子に恋のライバル現る、という、今までの障害からするといかにも小粒感漂う話。
そもそも副住職にはなるけれども、結婚する気はないという陽春の気持ちがよくわからん。
いつ木里子のドナーになってもいいように、修行途中で副住職という立場になったものの、それが木里子の負担になってはいけない、と。
いや、その態度が木里子の不安になっとるがな。
お坊さんとしてそれでいいの?

前巻で散々木里子に強引なアピールを繰り返したあげくに玉砕した佐竹は、あっさり婚約解消して傷心中の木里子の親友といい感じになっているし。

子どもを兄に預けて省みることのない忍の妹は、和尚さんの一言であっさり改心して、忍や裕太を求めて泣き続ける娘の麻友を抱えて帰って行ったけど、本当にちゃんと育てていけるのかの描写がないから心配。
ルナも、破産した親のせいで夜逃げという形で姿を消して話から退場。
これは、子どもは親に振り回されても、どうすることもできないという無常観のあらわれなのだろうか。

そういった意味では、陽春が母親を許せるようになったのは、そして母親も陽春を許せるようになったのは、遅かりしの館はあるけれどもよかったと思う。
エリートとして陽春を育てるのが自分の使命と思っていた母親が、どのように陽春を許せるようになったかが書かれていないのは残念。

口さがない隣人などというものが存在しないこの町で、木里子一家だけは、周囲に甘えていると思う。
家事については戸ノ山にお任せなのはいいけれど、仕事以外のことも頼みすぎでしょう。
木里子の父が「仕事のあと急にお葬式に出席することになったから、夕方まででいいから喪服を届けてくれ」って戸ノ山に言うのには開いた口がふさがらん。
自分でタクシーで取りに行け。
戸ノ山と婦長の善意に甘えて、どちらにも宙ぶらりんな状態をもう10年も続けている。
娘が嫁いで母親が亡くなったら、きっとどちらかと結婚するんだろうけれど、誠実ではないなあ。

一番納得いかないのは、もともとあまり教師としての面が巧く描写されていたとは思えない木里子が、結婚を逡巡する理由として、自身の病気のことと、お寺での生活作法について無知であることの不安だけで、教師生活とどう両立させようかなどとはまったく悩んでいなかったこと。
案の定、一学期終了時点であっさり退職しましたね。
3回も長期入院をして学校にそれなりに負担をかけたのに、それについては一顧だにせず退職。

なんというか、人間性が薄っぺらくて、どうしても好きになれませんでした。
この本を書いたのは、元となったドラマの脚本家だから思い入れはあるのでしょうが、小説家に憧れていたとあとがきにあったけれども、小説の作法と脚本の作法は違うと思うので、人物を立体的には書けていなかったと思います。
お涙ちょうだいで終わらなかったところは、良かったですけど。