6月7日(金)

 

旅行に行ったりミュージカル観たり、年金生活者のくせにお金のかかることばっかりやってんじゃないの?と反省し、今日はお金をかけずにひきこもり。

だけど食事当番なので、食事の支度はしなければならない。

買い物に行かず、家にあるものでなんとかしよう。

 

昨日は一日中バタバタしていたので、買い物に行けず。

なので朝食は買い置きのピザ生地でピザを作る。

ピザソースはある、チーズとソーセージもある。

プチトマトが3個あったのでスライスするとして、緑が欲しいなあと、窓辺で栽培している豆苗を少し切る。

これで1種類。

 

もう1種類は、ピザソースの代わりにのりの佃煮を塗ってチーズをのせるだけ。

これも結構おいしかった。

あとはスティック野菜のサラダとカップスープ。

ドライフルーツにヨーグルトをかけたもの。

以上。

 

お昼はほぼ切らしたことがない冷凍うどんを「ごまだし」で食べる。

ぶっかけにしようと思ったけど、つけだれにしても美味しかった。

ので、晩も「ごまだし」を食べたいと10さんが言い、晩ご飯が冷や麦に決定。

楽でいいなあ。にこにこ。

 

「ごまだし」だけだと飽きるかもしれないので、普通のつけだれも作り、梅干しを叩いたのと山ワサビを下ろしたのを薬味にする。

安売りで買ったじゃがいもの芽が出てきたので、残してあった魚の煮汁で煮る。

これは口直し。

あとは手羽先大量買いしたときのお肉が残っているので焼いて、1本買いしたタコの足を薄くスライスして梅ドレッシングをかけたカルパッチョ風を少し。

 

買い物に行かずにすんだけど、運動もしていない。

昨日は18000歩ほど歩いたけど(しかもパンプスで)、今日は500歩。

緩急ありすぎ。

明日は歩こう。(そして日曜はひきこもるだろう)

 

冷たい麺料理を食べる機会が増えました。

これ↓買ってよかった商品。

ネギを小口に切手冷凍するとき塊になりがちだけど、これはシャカシャカ振ったらばらけて出てくる。

大変便利で助かっています。

 

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本日の読書:斑鳩宮始末記 黒岩重吾

 

帯より
『調首子麻呂(つぎのおびとねまろ)は、百済からの渡来系族調氏(つぎし)の子孫。十八歳から厩戸(うまやど)皇太子(聖徳太子)に舎人として仕える。憲法十七条と冠位十二階制で公平な官司制度を作ろうとする皇太子の命を受け、江戸時代の与力・同心にあたる役目を与えられる。身長五尺七寸(171センチ)、学識者にして熱血漢、皇太子のためには命も捨てる覚悟で部下の魚足(うおたり)とともに斑鳩宮で起きる様々な事件の捜査にあたる。』

目次
・子麻呂道
・川岸の死体
・子麻呂の恋
・『信』の疑惑
・天罰
・憲法の涙
・暗殺者

この作品の価値は、時代設定の妙、にあります。
大化の改新の前、聖徳太子が皇太子のころの日本を舞台に、殺人事件が起きます。
この時代、人々はどう暮らし、何をどう感じ、何に価値を抱いて生きてきたのかが、事件の捜査を通してわかるようになっています。
だからミステリとして読むと今一つかもしれませんが、古代史好きにはたまらんのです。

蘇我・物部の争いから約10年。
物部の残党はまだあちこちに隠れていたり、十七条の憲法と冠位十二階について聖徳太子が力を注いでいたり、隋が高句麗を責めようとしている大陸情勢が朝廷の政治に影響を与えたりしている時代の話です。

目からうろこで納得したのは、学校では日本最初の憲法ということで、十七条の憲法を冠位十二階制より大きな出来事として習ったのですが、同時代に生きる人たちは、憲法と言われても意味が解らないけれど、能力によって冠位が定められるということの方が大きな問題だったということ。

良家のででなくても能力があれば出世できる、という噂に浮足立つ人たちよりも、ずっと多くの既得権益を守りたい古来からの大家の反発の方が大きいというのは、言われてみればその通りなわけで。

だから飛鳥朝廷(推古天皇・蘇我馬子)と斑鳩宮(聖徳太子)は、ある意味対立しているわけです。
仏教をめぐって蘇我氏と物部氏が戦った時、聖徳太子は蘇我氏側だったのですが、仏教の教義を信じ実践しようとする聖徳太子と、「最新の宗教知っている俺かっこいい」な馬子とでは、仏教に向き合う姿勢がそもそも違います。

推古天皇は蘇我稲目の孫で馬子の姪なので、ここは一枚岩なのですが、聖徳太子も馬子の娘と結婚して子ども(蘇我入鹿に殺された山背大兄王)もいるから、そこまであからさまに敵対していたかどうかはわからないな。
でも確かに皇太子で摂政なのに、飛鳥朝廷から何十キロも離れた斑鳩に宮を置いて、馬で飛鳥まで通勤していたというのは、不自然と言えば不自然。かも。

山背大兄王は、お父さんに頭のあがらない世間知らずのおぼっちゃまとして書かれているから、後々シリーズが続けばいろいろ深掘りされていったのかなあと思うと残念。
この時代を舞台にした小説、もっと読みたい。