6月5日(水)

 

関東ローカル番組なので、道民に関係ないっちゃないのですが、一度番組終了した『いただきハイジャンプ』が『いたジャン!』として深夜に復活いたしました。

う・れ・し・い!

 

相変わらず関東ローカルなので、道民には関係ないっちゃないのですが。

それでも嬉しい。

UHBさん、よろしくお願いしますよ~。

 

数年後には結成20年になろうとするのに、認知度がいまいちだからね、地上波のテレビには出てほしいのよ。

ファンはインスタでも動画でも探して見に行くけれど、ファンじゃない人にも認知してもらえたら嬉しい。

それには歌番組がいちばんいいんだけれど、新曲もしばらく出していないし、数年後には結成20年になろうとするのに未だわちゃわちゃしてる姿を見てもらうのもいい。

菊池風磨には、楽屋の隅っこにみんなで固まって座っているのを見て「気持ちわるっ」って言われたけれど。

 

『いたジャン!』はその、わちゃわちゃを見られる貴重な機会だと思うので、どうか皆さま、深夜にめげず、関東以外に住んでいることも気にせず、Tverで見ようじゃありませんか。

 

とはいえ、スタジオでわちゃわちゃもいいけれど、ロケに出てほしいと強く強く思っているのよね。

特に髙木くんが、どれだけ瞬時に町の人たちと距離を縮めるか、日本全国の人に見てほしいわ。

ロケの許可取り、秒でOKもらってきますからね。

人見知りの多いメンバーの中で、ほとんど唯一の人見知りしない男・高木雄也。

 

TverやYouTubeを見られるテレビを買ってよかったなあ。

大画面で髙木くんのアップを見られる嬉しさよ。

高かったけど頑張っていいテレビを買ってくれてありがとう、私。

この番組のためにチャンネル権を譲ってくれてありがとう、10さん。(それ以外ほとんどチャンネル権は10さんに帰属します)

お気に入り登録したから、来週からも見るわよ~。

 

 

気温の変動激しい今日この頃、ちょっと体調崩しました。

明日は父親を病院に連れて行かなくてはならないし、夜も用事があるので今日はさっさと寝て、明日に備えます。

 

 

 

 

 

本日の読書:草を結びて環(たま)を銜(くわ)えん ケン・リュウ短篇傑作集 4 ケン・リュウ

 

カバー裏より
『住民の皆殺し命令が下され、揚州は地獄へ変貌した。意地悪なくせに小鳥にはひどく優しい不思議な遊女の緑鶸(みどりのまひわ)は、彼女の纏足された足を世話する少女・雀(すずめ)を連れ、美貌と知性を武器に生き抜こうとする……。運命に立ち向かう遊女の幻想譚である表題作、生き生きと動く投射映像”シミュラクラ”など第二短篇集の単行本版『母の記憶に』から、7篇を収録した傑作集。』

目次
・烏蘇里羆(ウスリーひぐま)
・『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」
・存在(プレゼンス)
・シミュラクラ
・草を結びて環を銜える
・訴訟師と猿の王
・万味調和――軍神関羽のアメリカでの物語

単行本『母の記憶に』を2分冊にしたときに、中国色濃い目になった方の一冊。
だから読みながら、今読んでるのSFだっけ?と、何度か立ち止まることになった。

『烏蘇里羆』というのは、エゾヒグマ、つまり北海道にいるヒグマのこと。
エゾヒグマは厳密に言うとヒグマの亜種で、ホッキョクグマに割と近い。(混血種が誕生するくらいには)
で、現在は北海道にしか生息していないエゾヒグマが、中国大陸で人喰い熊として繁殖しているのはなぜかという、10年前に書かれた作品なのになぜかタイムリーな、しかし機械の馬が熊との戦闘用に作られている世界の話。
これは、東アジアの文化というか死生観、自然観が色濃くて、日本人作家もこのくらい書いてくれないかなあと思いながら読んだ。
作者は三毛別羆事件を知っていたのだろうか。

『『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」』は好きなタイプの作品。
古き良きアメリカのSFって感じがするのはなんでだろう、と思ったけれど、そこはかとなく初期のスペース・ファンタジーの香りがする。
カーボンニュートラルの考えから、長距離貨物の輸送軸が飛行船となった世界の話。
飛行機にはかなわないが、陸路と海路を乗り継ぐよりは飛行船の方が最短距離を運行できるので、エネルギー負荷が低いのに早い、というのがその理由。
先日読んだドイツのミステリで、廃棄物発電所というのを知ったが、二酸化炭素を発しないエネルギーは探せばまだまだあるんじゃないだろうか。
なぜ日本は原発一択なのだろう。

そして表題作。
これが白眉と思います。
SFかどうかはさておいて。

満州族が明を侵略し、抵抗するなら揚州の住民を皆殺しにする、との命令が発せられた。
「明が負けるわけはない!」と住民を鼓舞する行政の長、情報を受け取りさっさと退却する軍人、右往左往する住民たちは次々と殺されていく同胞を尻目に、自らの命を守るために、または自らの尊厳を守るために行動する。
雀という少女の口から語られる緑鶸(みどりのまひわ)という遊女は、意地悪この上なく、人間以外の生き物にしか優しい目を向けない。
が、読者にはわかる。
緑鶸がどれほど命を張って雀を庇ってきたのか。
美貌のために纏足され、自分の足で歩くこともままならない遊女よりも、貧しくても自分の足で立つことのできる方が、よほど自由で幸せであるということを。

その100年後、満州族が建国した清国で、明の時代と変わることのない苦しい生活を送る庶民を、その達者な弁舌で時折り救うことのある田(テイエン)。
彼のもとに、100年前の揚州大虐殺を目の当たりにした人物の日記が現れ、禁書となっているその本を所持するどころか読むだけで死刑となる窮地を、切り抜けることができるか、というのがその次の『訴訟師と猿の王』

事実としては、何部かの写本が日本から発見されたんですって。
”長年にわたる事実の隠蔽――それは現在まである程度続いている――のせいで、揚州でなくなった犠牲者の本当の数は決してわからないかもしれない。”
なんだか南京大虐殺を彷彿させる歴史上の出来事。

中華人民共和国になる以前の中国人のイメージ、辮髪とか長い服の袖に両手を差し入れてお辞儀をするとかは、この清国(満州族)の風習。(サイボーグ006ね)
漢民族のものではないというのを知ったのは、大人になってからだった。