5月28日(火)

 

カントリーサインの旅で函館に一泊したわけですが、正直申しまして突然「泊まろう」ということになったので、食事については全然あてにしていなかったのです。

 

が、ホテルとして夕食の準備はできないけれど、ホテルのレストランで食べることは可、ということで、一泊朝食付きで泊まりました、温泉付き。

ホテルの温泉は重曹泉で、渡り廊下で繋がっている保養センターの温泉は硫黄泉。

宿泊者はどちらも無料で入ることができるという、嬉しいサービス。

どちらも露天有りで、大変気持ちよく入って来ました。

特に保養センターの露天は広くて、すっごく気持ちよかったです。

 

で、本代…じゃなかった本題。

ホテルの朝食がまず美味しい。

最近函館ではイカの不漁が続いているのですが、それでもイカの塩辛が大変美味しい。

たらこも、となりの鹿部町のたらこだと思いますが、美味しい。

そして、昆布もめっちゃ美味しいのよ。

特に、タイの昆布締めの風味が本当に美味しかった。

 

北海道の昆布と言えば、利尻昆布、羅臼昆布、日高昆布、三石昆布など数々ありますが、今は函館市となった旧南茅部町のがごめ昆布も有名です。

がごめ昆布はめっちゃ粘るので有名。

 

ホテルの売店で、こんなに昆布製品があるのか、と思うほどの昆布昆布昆布…。

とろろ昆布も、出汁昆布も、昆布醤油も昆布飴も。

ゴールデンウィーク明けに道東に行ったとき、やっとの思いで見つけた千切りの昆布も、函館には大量に売っていた。

 

イカだけじゃないんだなあ、函館。

食のポテンシャルめっちゃ高い。

今度函館に行くときはクーラーボックス持って行こう。

 

ちなみに千切り昆布で作ったもの。

水で戻した千切り昆布と、白滝、千切りのニンジン、千切りのさつま揚げ、椎茸を煮たやつ。

在職中はセイコーマートのこれを毎日お昼に食べていました。

年をとると昆布を美味しく感じるのはなんでだろう?

子どもの頃は好きじゃなかったのに。

 

 

 

 

 

本日の読書:娘は娘 アガサ・クリスティー

 

カバー裏より
『若くして夫と死別したアンは、持てる愛情のすべてを注いで一人娘セアラを育ててきた。だが再婚問題を機に、二人の関係に亀裂が。貞淑で知られた母は享楽的な生活を送るようになり、誤った結婚を選択した娘は麻薬と官能に溺れていく。深い愛情で結ばれていた母娘に何が起きたのか?微妙な女性心理を繊細に描く。』

これはまた、『春にして君を離れ』とは違う意味で痛い本でした。
何事もなければ胸を張って言えるのですよ、「自分のことより子どもが大事」。
でも、つかず離れずを装っていながら、実は互いに相手の存在に頼っていた母と娘のどちらかが、違う世界に踏み出そうとしたとき、自分のもとに引き留めようとしたくなるのは自然な流れ。
だけどお互いに自覚がないから、自分のためではなく娘(母)のために、何かをしてあげている気になっている。
寂しさや絶望をその瞳に浮かべている相手のことなんて、見もしない。

”家の整頓、使い走り、(中略)そうしたこまごまとした用事をアンは当然のことのように忠実に果たした。娘は両親に仕えるために生きているので、その逆ではなかった……(中略)子どもが親に仕えようが、親が子どもに仕えようが――人間対人間の根本的関係にはいささかの変わりもない。”

だが、アンが娘のために再婚を諦めた途端、娘のことがかわいいけれども憎い存在になったっていうのはわかる。
何といってもセアラはまだ19歳。
大人ぶったって大人ではない、とアンは突っぱねるべきだったけど、現代っ子の娘とおとなしい母親は往々にして親が意見を引っ込めがちだ。
だけど、再婚したいほど好きな男性を娘のためにあきらめた…娘のせいであきらめざるを得なかった…というのは、本人が思うよりも傷が深い。

セアラはセアラで、なぜ母が自分を憎んでいるかのように接するのかが理解できない。
自分が結婚をぶち壊したこと、当初こそいいことをしたと得意になっていたが、すぐにそんな事すら忘れてしまう。
母に見捨てられたかわいそうな私は、誰かと結婚でもしてこの家を出て行かなければならない。

拗れるにいだけ拗れた母と娘の仲だけど、一度腹を割ってぶつかったらあら不思議。
憎しみはどこへやら。
だって何があっても、娘は娘だもの。
めっちゃ刺さるわ、この話。
でも、今どきは親子の間とはいえ、一方的に仕えるのは無理筋だと思う。