5月10日(金)
 
名前だけは、尾形光琳・乾山兄弟、俵屋宗達、本阿弥光悦等聞いたことはありますが、屏風絵などのイメージはありますが、「琳派」という同じ系列とは知りませんでした。
でも、言われてみたら、なるほどそうかも…と思いつつ、狩野派と何が違うのかもわかってはいないのですが。
 
奥義を門外不出としている狩野派と違って、琳派というのは師匠から弟子へ受け継がれたものではなく、それぞれが尊敬する先達に私淑して、繋いできたものだそうで、神坂雪佳(大正から戦前の人)くらいになると、もうあまり私の琴線には触れませんでした。
でもって、アニメとコラボですよ。うーん…。

 
『風神雷神図屏風』とは全く趣の違う『双犬図』
一目惚れしてしまって、一番最初の展示だというのに、何度か戻って見に来てしまった。

 
ところが、アニメとコラボすると、こう。
いや全然違うやろ。
AIの方がもっとうまく特徴捉えて描き加えられると思うわ。

 
おみやげも、コラボ作品というか、アニメ作品のものが圧倒的に多かったのですが、私は琳派だけでよかったな。
ミーハーなので、有名どころしかわからないけど、いい絵だなと思う。

ただ、尾形光琳の絵を見ていて思ったけれど、写実的というよりはデザイン的なんだよね。
花びらの斑(ふ)まで細かく描き込んでいたり、シジミチョウの羽のウラオモテがわかるくらいに繊細に描き込まれた絵の葉っぱが、アクリル絵の具で塗ったのですか?っていうくらいのっぺりしていたりして、うまくやればアニメ画との親和性は高いのかもしれない。
でも、そもそも模倣が巧くないのよ(失礼ながら、個人の感想です)。
だから琳派の絵とアニメの絵が調和していない。
と思ったのでした。
 
次回は大好きな『鳥獣戯画』展なので、絶対見に来ようと思っているのですが…。

 
展示を全部見るなら6回は来なくちゃならんじゃないか!
まあ、私が好きなのは(甲巻)なので、それだけでもいいっちゃいいけど、それでも2回は来なくちゃいけない。うーん。

 
お昼は近代美術館そばのカレーうどん専門店で。
めっちゃ熱くてびっくりしたけど、美味しかった~。

 
家に帰って大嫌いなアイロンがけ。
アイロンマットと洋服の色味がそっくりで笑える。
結局猫が好き。

 
 
 
 
 
本日の読書:花の降る午後 下 宮本輝

 

カバー裏より

『シェフの加賀たちとともに老舗の看板を守るアヴィニョンを乗っ取ろうとする男女が現れた。雅道と密かに逢瀬を重ねながらも、彼らの仕掛けた悪質な罠と対決する覚悟を決めた典子。年老いた義母や隣家のブラウン老人を支えつつ、地元の経験豊かな知恵者たちの手を携えた闘いが始まった――。傑作恋愛小説。』

宮本輝が巧いので、話が面白いので、読み始めてしばらく気づかなかったけど、乗っ取りを企む悪人たちに対抗する手段を取ったところで上巻が終わったはずなのに、この下巻ではほぼ恋愛パートに終始している。

恋愛小説の部分も確かにあったけど。
それは、恋愛小説が苦手な私には、少し多いなと思えるくらいには分量的に多かったけど。
地元のボスと言える人たちに窮状を話して、これから反撃だ!ってところから進まない。

最終的には、守りを固めて相手を引っかける罠を作って、相手がそれに引っかかって、自滅。
そもそも乗っ取ろうとしていた男女のうち、男の方がひと癖もふた癖もあるやつで、素人に太刀打ちできるような人じゃなかったから、地元のボスに相談したのだが、気がつくと主導権は女の方で、ただ、恵まれた容姿と恵まれた生まれ育ちに嫉妬して…って理由。

裏切った従業員も、嫌がらせを続ける亡夫の遠縁の女子大生も、上巻でいったん姿を消したら、二度と出てこなかった。
これは、路線変更を強いられて、いろいろ設定を変えたのか?
と思ったら、あとがきで作者本人が、”わたしの小説の中で、せめて一作ぐらい、登場する主要な人物が、みんな幸福になってしまうものがあってもいいではないかと思い始めた”と書いていた。
なるほど。
”善良な、一所懸命に生きている人々が幸福にならなければ、この世の中で、小説などを読む値打ちは、きっとないでしょうから。”

確かに私も、一生懸命生きている人が不幸になる話は嫌だ。
でも、店を守るために闘う話だと思って読んでいたから、ちょっと肩透かし。

そして、アヴィニョンのオーナーであることと、雅道との恋愛が二者択一という考え方に、時代の古さを感じた。
恋愛を全うするしない、子どもを産む産まない、店を守る人手に渡す、それぞれにしがらみもあって迷うのだろうけれど、最初から二者択一にしなくても、今はいいと思う。

と、いろいろ書いたけれど、結局のところ一気にぺろりと読んでしまったのだ。
宮本輝には勝てん。