5月8日(水)

 

健康に暮らしていくためには、20~69歳の人は一日に8000歩は歩かないとダメなんですって。

働いていた時は、7000歩前後歩いていました。

 

今日は、1200歩!

寒いし、買い物の必要もなかったので、確かに出かけはしませんでした。

 

家事って、歩数が稼げないのね。

豪邸に住めばまた別なのでしょうが(豪邸を掃除なんかしたくない)、割とこまめに食器棚に食器をしまったり、畳んだ洗濯物をそれぞれの収納場所に運んだりと、歩くようにしていますが、それにしても…程度があります。

 

今日だって、通常の家事を終えた後、いよいよわが家の魔窟であるキッチンのカウンター下収納の整理にとりかかって、びっくりするほどのザルと、びっくりするほどの鍋の蓋をゴミ袋に詰めて捨てに行きましたが、基本的にごみの分別って歩く必要がないのです。

なぜか私がごみを捨てに行くときに限って、管理人さんがゴミ置き場の整理をしていて、あんまり頻繁に行くのもはばかられるし、続きは明日にしよう…なんてなると、本当に歩数が稼げない。

 

冬場の運動不足を心配していましたが、冬だけじゃないよ、今現在の問題だったよ。

 

ピクミンブルームのウィークリーチャレンジ、「仲間と週に10万歩」をミッションにしていたのですが、今週から「一人で週に3万歩」に変更しました。

だって、私がほとんど歩かなくてもミッションクリアしちゃうんだもの。

強制的に週3万歩、と思っているのですが、あと4日で2万歩以上歩かなければならない。

天気は良くなってくるみたいだから、ちょっと遠くに買い物に行こうかな。(面倒だけど)

 

 

 

 

 

本日の読書:源平絵巻物語 第九巻 安宅の関 赤羽末吉 絵 今西祐行 文

 

Amazonより
『静と離れ離れになって義経は都にかくれるが、頼朝の追及はきびしい。義経は山伏に姿をかえ、奥州藤原氏をたよって逃れる。』

勧進帳などの有名なシーンは知っていましたが、史実としては一番わかっていなかった部分でした。
今回めっちゃ勉強になりました。

まず、静御前は安全と思われるところに置いていったけれど、正妻は連れて行ったのね。
つまり一時期は両方連れて逃げていたのね。
そして、同じ時期にふたりは出産。
ってことは、義経…。

鎌倉に帰りたいのに許されない義経が、平泉に向かう道のりっていうのもあまり考えたことなかったな。
鎌倉及び幕府の勢力圏を通れないのだから、京都から北陸をまわって岩手に向かっていたのか。
それはまた、難儀なことでした。

しかも行く先々に新たに関所ができていて、山伏とみれば捕まえるか殺す。
…なのにどうして山伏姿で旅をするのかというと、当時遠路を旅する人で考えると、山伏が一番自然だったんだよね。
だから弁慶も、関所の役人に因縁付けられても、山伏として通すしかなかった。

義経を助けることはお上に背くことだから、おおっぴらに助けることはできない。
だから、困っている山伏を助けるという態で、人々は義経達一行を支えたのだ。
ということを、この本を読んでよ~く分かった。

あと、著者が実際にそのルートをたどって見たとき、今でも北陸って関東よりも京都に近しいから、頼朝より義経に寄り添う気持ちが強かったのだろう、と解説に書いてありました。
弱い者に同情する判官びいきというよりも、京都を救ってくれてありがとう、だったのかもしれないね。