5月7日(火)
 
今日は、朝の9時がいちばん気温が高くて、あとは寒くなっていくばかりだそうなので、早い時間に図書館に出かけました。
午後からは雨、という予報でしたが、既に空が怪しい感じ。
そして、図書館から出たとき、明らかに体感温度が下がったような気がしました。
風も強くて、冬に戻ったみたいです。
明日はもっと寒いらしいので、多分外には出ません。

 
さて、床置きのウォーターサーバーから卓上のに変えてみたのですが、使い心地としては、床置きの方が断然いいです。
冷たい水は冷たく、熱いお湯は熱く、すぐに飲めます。
ただし、水代が高い(月に1万円くらい)のと、10㍑もある水をウォーターサーバーの上部に設置するのは、なかなかの重労働であることから、解約することにしたのです。
 
卓上だと2㍑のペットボトルを設置するのは全然大変ではなく、一日に一回交換するかしないかくらいのペースですから、水代は1週間に1000円もしません。
でも、通電はしているのですが、ある程度の温度になるとヒーターやクーラーが自動で切れてしまうので、たいていぬるい水かぬるいお湯を飲むことになります。(タイミングが合えば適温のが飲めます)
 
あまりに設定温度から外れると自動でヒーターやクーラーのスイッチが入りますから、大した温度差ではないのです。
でも今までが快適だったから、ちょっと気になりますね。
水はキンキンに冷やしたものより常温の方が身体に良いそうなので、違和感を抱きながらも文句は言わずに飲んでいます。
日本茶はぬるいお湯の方がいいので問題なしとして、コーヒーや紅茶にはお湯の沸かし直しが必要。
もしかすると粉ミルクの赤ちゃんにはぬるくても良いかもしれませんね。
 
でも一番気になるのは、音。
電源が切れたり入ったりするたびに大きな音がするのです。
これは気になる。
特に夜。
 
卓上ウォーターサーバーとしては安物を買ったわけではないので、多分普通にこういうう音が出るものなのでしょう。
だから、これが壊れたら、もうウォーターサーバーは買い替えないと思います。
冷たい水は冷蔵庫に入れておけばいいし、熱いお湯は常温のペットボトルの水をその都度沸かせばいいと思うので。
最近は、電気ケトルもコーヒー用と日本茶用に温度を切り替えて沸かすことができるものもあるので、電気ケトルでいいよ、もう。
 
 
 
 
本日の読書:江戸絵皿絵解き辞典 絵手本でわかる皿絵の世界 河村通夫

 

Amazonより

『江戸時代の庶民の手に渡るようになった絵皿は、大量生産され、そこに描かれた絵の手本は、狩野派の絵師の影響が大きい。絵手本は江戸時代から明治時代に描かれた絵本の一種で、絵の描き方を習うために、手本の絵が描かれた本。浮世絵諸派にも大きく影響を与えたものだが、皿をはじめとする工芸品にも多大な影響を与え、現代にも通じている。本書は、陶器と版本を対比して、その由来、故事、季節などを説明、解説。中国、日本の故事、おとぎ話、十二節季、動物や植物など。』

最初この本を本屋さんで見かけたとき、のけ反りました。
著者は、私が中学~高校生の頃熱心に聞いていた深夜ラジオのパーソナリティだったからです。
え?別人?

河村通夫という人は、京都から北海道に流れてきて、すすきのでフォークソングを歌う店『パフ』を経営。
私がラジオを聞いていた頃は、すすきので働くシングルマザーのために、夜間保育園も経営していました。

その後家庭菜園が高じて農業にハマり、札幌から40キロほど離れたところに土地を買い、仲間と自給自足の村づくりをする、と隠遁したのですが…。
私が結婚して、ラジオから離れていた頃、自然食品にハマった河村さんは、自然食品としての糠漬け用の糠を作って、スーパーの棚にずらりと並べられるほどでした。
ラジオのパーソナリティは昼間に行っていたようで、私はもう、聞くことはありませんでした。

で、今回、絵皿の解説ですよ。
とにかく研究熱心で行動力があるのは変わっていないようで、自分たちで修復した京都の町屋に江戸絵皿1000枚、江戸絵手本を500冊ほど収集し、時折公開しているようです。

内容も、絵のテーマは日本のことわざというより、中国の故事成語をもとにしたものが多いので、原点からその絵にいたるまでの解釈の流れなどが短い文章ながらわかりやすく書いてあって、最近美術に目覚めた私には大変興味深い本でした。

「先義後利」→義を先にして、利を後にする者は、栄える
これは大丸百貨店の前身である「大文字屋」を開店した下村彦右衛門が、中国の荀子のことばから店の理念としたもの。
聞かせてやりたい政治家が、いっぱいいますな。

「漁夫の利」の教えは、「横取りの得」ではなく、「和睦のすすめ」
教えてあげたい国が、いくつも思い浮かびますな。

絵手本とか大津絵など、素人が絵の勉強の参考にするような本が、江戸時代には発行されていたというのもすごいと思います。
パクリではなく、模写をすることで学んでいく。
葛飾北斎の『北斎漫画』も、もしかするとそういう意図で描かれた本なのかな、と大津絵を見ながら思いました。

解説を読みながら絵を確認し、行きつ戻りつの読書はものすごく楽しい経験でしたが、一つだけ不満。
「~でございます。」という文体が気持ち悪い。
「です」、「ます」ではなぜいけなかったんだろう。
話し言葉としてならまだしも、小説でもないのに文章で「ございます」っていうのは、違和感しかない。
そういう話し方をする人でもなかったのに、なんでだろう。
江戸絵皿の本が何種類も、河村さんの著書として近所の本屋さんで山積みになっていましたが、全部こういう語り口調なのかしら。