4月3日(水)

 

日付より曜日がわからなくなりそうだから、最初に記載しておこう。

いよいよ日記風。

 

さて、今日は特に予定がなかったので、職場から持ち帰ったあれやこれやを処分したり残したりの分別をすることにする。

持ち帰ったもののほとんどは組合関係。

なんと今年度、職場の定員が昨年度の2/3にも減らされてしまい、私の退職や他の人の異動を最後に組合員がゼロになるという事態に。

 

うすうす感じてはいたので、本部の方に相談はしていたのだけど、向こうの方が楽観的で特にアドバイスもなく最後の日を迎えてしまう。

とりあえず口座を解約して組合費を本部に送れば、それ以外の書類やら消耗品はいらんというので、せっせと家に持ち帰っていたのだ。

だって役所のお金で処分はできないでしょ?

 

毎月送られてきていた雑誌はまとめて古紙回収に。

個人情報の書いてある書類は我が家のシュレッダーで裁断してから紙ごみへ。

それ以外のあんなのとかこんなのとかは、いちいち確認して処分を決める。めんどい。

 

古い通帳などはもうシュレッダーにかけてもいいのだろうけれど、一応お金関係がきちんと片付くまで持ってることにする。

ゴム印も同じ。

角印だけは本部に送れと言われているので、余った切手も一緒に送りつける。

残り半分は明日に回す。

組織を閉めるということは、いろいろ面倒なのである。

 

私物の方は、一番かさばったのがティッシュの箱で、あとは湯のみ。

他はほぼ文房具です。

筆記用具は100%私物を使っていたので、当然持ち帰る。

その他大量の付箋紙、大量のメモ用紙、なぜか便せんや封筒も。

使いきれないよなーと思いつつ、机の引き出しに突っ込む。←整理しろ

職場だから「チコちゃんに叱られる!」とか「鳥獣戯画」とか「ムンクさん」の付箋を使うのであって、今後の人生でこれらを使うことはいったいあるのだろうか。

 

音楽を聴きながら整理作業をしていたら、めっちゃ面白い曲発見。

 

めっちゃわかるぅ~。

秒でハマって、エンドレスリピ。

元の曲がそもそもキャッチーなのに、歌詞が泣けるほど刺さるのよ。

数学が大嫌いな人は、一度聞いてみて。

 

 

 

 

本日の読書:李歐 髙村薫

 

カバー裏より
『惚れたって言えよ――。美貌の殺し屋は言った。その名は李歐。平凡なアルバイト学生だった吉田一彰は、その日、運命に出会った。ともに二十二歳。しかし、二人が見た大陸の夢は遠く厳しく、十五年の月日が二つの魂をひきさいた。『わが手に拳銃を』を下敷にしてあらたに書き下ろす美しく壮大な青春の物語。』

壮大な物語だった、ということは間違いないのだけれど、最初から最後まで、ついにハマらずに終わってしまった。
髙村薫なので、くどい位に細かい描写が、いつかきっと物語世界に深く浸らせてくれると思ったのだが。

原因は、主人公の吉田一彰の、あまりにも動かな過ぎる感情ゆえの、共感性のなさ、なのだと思う。
小説は共感してなんぼだ、とは思わないけれど、あまりにもとっかかりがなさすぎる。
小学校入学を前にして母に捨てられた時も、育ててくれた祖父母を捨てるように東京から幼児期を過ごした大阪の大学に進学した時も、ゼミの指導員の妻と不倫をしているときも、アルバイト先で殺人の手引きを強要された時も、本物の拳銃を手にした時も、常に心は平静だ。

だから彼の何が李歐に惹かれたのかはわからない。
逆に、李歐が彼に執着する気持ちもわからない。
だからこそ互いの「運命」と言えるのかもしれないが。

一彰が唯一安らげたのは、母が働いている間敷地で遊ばせてくれた、アパートに隣接する町工場にいたとき。
モノ作りは好きだったのだ。
だから服役後、守山の経営するその小さな工場で見習いとして働き、後継者として工場を守っていくのはわかる。

守山工場で働いていたのが、中国人や朝鮮人、そしてどうやら匿われているらしい中国人たち。
中国やアメリカや台湾の組織が入り乱れてそれらの人々を殺したり逃がしたりするのだが、一彰は特にそのことに深入りはしない。
ただ李歐だけは別で、彼の半生を聞き、彼が無事に日本を脱出して、成功するのを祈るのだった。

22歳で出会った李歐と一彰。
37歳で中国で再会するまで、互いと接触せずに信頼してきた、その根拠は何なのだろう。
そもそも波瀾万丈の李歐の半生はまた聞きで、一彰の方の半生は町工場でこつこつ働くだけの地味なもの。
もっと二人が「俺たちに明日はない」ような手に汗握るバディものかと思ったんよ。
うーん、残念。