今年度で定年退職するはずでした。

なのに、定年の方が延びちゃって、早期退職扱いとなりました。

だから、今年は3月31日が日曜日だから、最終出勤日は29日だな、しめしめ。

と思っていたら、「4月1日付けの退職です」と言われてしまいました。

 

え~!?

病院の予約入ってるのに、出勤しなくちゃダメ?

「お渡ししなければならないものがあるので」

 

ってことで、職場にある身の回りのものを少しずつ片付けてはいましたが、まあ、余裕をかましていたのです。

最後に職場の皆さんに置いていくお菓子は、日曜日に買いに行けばいいや。

29日はフルで仕事だから、仕事で使う最低限のものは残して、1日に持って帰ろう。

 

なんて思っていたら、今日のお昼ごろ、「お渡ししたいものが29日に届くので、差し支えなければ29日にお渡ししようと思いますが、どうでしょう」と言われてしまいました。

「じゃあ、それで」と言ったはいいけれど、いきなり明日が最後の出勤日になり、「お菓子買ってねーじゃん!」とプチパニック。

 

2日に分けて持って帰ろうと思った荷物をひとつにまとめ、午後から最後の休暇を取って、お菓子を買って帰りました。

というか、今現在うちの職場は甘いお菓子が結構充実しています。

なので、佐藤水産で食べきりサイズの鮭とばとか、鮭のカルパスとか、ニシンのなにかを適当な数買ってきました。

お茶うけにしてもいいし、本州に帰る人たちはフェリーで酒を飲みながら食べてもいいし、と思って。

 

ひと働きしたぜ、と思って家で休んでいたら、約束をひとつすっぽかしたことを思い出しました。

私用ではあるのですが、職場で人と会うことにしていたのをすっかり忘れていました。

まあ、私が仲介するというだけの話なので、謝って許してもらいました。

最後までポンコツですまぬ。

 

昨日は送別会で、二次会まで行ったら最終列車ギリの時間に駅に滑り込み。

こんなの久しぶりだったなあ。

で、明日は明日で、職場の若いのと飲んで帰るので、明日もブログは更新できないかもなあ。

 

明日あさっては忙しいので、多分読書もできません。

のんびりはもう少しお預けです。

 

 

 

 

本日の読書:サヨナライツカ 辻仁成

 

カバー裏より
『「人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと愛したことを思い出すヒトとにわかれる。私はきっと愛したことを思い出す」。”好青年”とよばれる豊は結婚を控えるなか、謎の美女・沓子と出会う。そこから始まる激しくくるおしい性愛の日々。二人は別れを選択するが二十五年後の再会で……。愛に生きるすべての人に捧げる渾身の長編小説。』

主人公の東垣内豊(ひがしがいとうゆたか)は、タイのバンコクで航空会社の広報担当者として日本人会の面倒を見たりするのが仕事である。
誰からも「好青年」と呼びかけられる豊は、公私とも充実した日を送っていた。
会社の創業者の未亡人からの紹介で光子と結婚することを日本人仲間に報告した夜、豊は謎の美女・沓子と出会う。
強引な沓子からのアプローチに負け、豊は沓子と結婚までの数ヵ月、激しく愛し合うのだった。

ここまででも突っ込みどころ満載。
クセつよ名字である意味ある?

そして、「好青年」の多用がうざったい。
揶揄しているというのならまだしも、先者はかなり真面目に誉め言葉として「好青年」を使っているっぽい。

”「ずるい。なんでも好青年で片付けようというわけね」
「ああ、ぼくは好青年だ。なんでも許される年頃だから」”

好青年ってなんでも許される免罪符のような言葉ではないはず。
そういう思考そのものが、好青年とは違う性質だと思うのだけど。
そしてこれ、豊が60歳を過ぎてから、沓子を偲んで思うシーンなのだ。
気持ち悪い。

自分から沓子に別れを切り出すことができず、だからといって光子と別れることもできないので、嘘に嘘を重ねて両方にいい顔をする豊は、私からしたらどこをどう切り取っても好青年ではない。
しかも、沓子との付き合いの甚だしさゆえ、顧客から不快感を持たれていることを上司から注意されても反省しない。
日本人会担当から外されても、それは変わらない。
こんな好青年ってないよ。
だからといって『赤と黒』のジュリアン・ソレルほどに自己中でも野心に溢れているわけでもない。

相当いらいらしながら読んでいたけど、25年後の再会後、沓子の余命が明かされてから、ふたりの愛が再燃する。
まあ、プラトニック寄りだけど、だからって許せるもんじゃあないのよ。
ましてや死を感動の引き金にするのは、卑怯すぎる。

最初から最後まで、光子に対して不誠実。
良妻賢母の光子が、豊の心の奥にいる沓子に気づかなかったのか?という疑問もある。
気づいて知らん顔をしていたのなら賢いけど仮面夫婦だし、気づかなかったのなら鈍すぎる。

そもそも「好青年」とか「良妻賢母」とか「謎の美女」とか、すべて地の文または台詞によって示されているのが、小説として薄っぺらい。
彼らの言動でそれを表現してくれよ、と思う。

ごめん、この本のよさが全くわかりませんでした。
私向きではないということだけはよくわかりました。