いつまでもいつまでも寒い3月。
お彼岸が過ぎたというのに、吹き荒れる風がまだまだ冬です。
雪も降りました。
そんな中、東京へ行ったわけです。
気温は札幌よりかなり高い。
絶対に暖かいに決まっている。
…東京寒うございました。
最短距離で娘の家に飛び込み、荷物を放り込んで道路向かいのショッピングモールへ。
ユニクロか無印で何か暖かくなるものを買わなきゃ、死んじゃう。
ヒートテックを探したのですが、3月のユニクロで売っているのはこんなに寒くてもエアリズム。
なのでダウンベストを買って帰りました。
おかげさまで、生き延びることができました。
ありがとう、ユニクロ。(サイズはSではありません)
本日の読書:悲しみよ、こんにちは フランソワーズ・サガン
カバー裏より
『セシルはもうすぐ18歳。プレイボーイ肌の父レイモン、その恋人エルザと、南仏の海辺の別荘でヴァカンスを過ごすことになる。そこで大学生のシリルとの恋も芽生えるが、父のもうひとりのガールフレンドであるアンヌが合流。父が彼女との再婚に走りはじめたことを察知したセシルは、葛藤の末にある計画を思い立つ……。20世紀仏文学界が生んだ少女小説の聖典、半世紀を経て新訳成る。』
17歳のセシルは、父と父の彼女と3人で海辺の別荘で夏を過ごす。
少し年上の恋人との恋愛を楽しんでいるうちはよかったのだが、母の昔からの友人であるアンヌが合流したことで、彼らの中のバランスが崩れる。
セシルと父のレイモンは刹那的で退廃的で享楽的。
ところがアンヌは知的で現実的で、冷笑的。
レイモンとアンヌが婚約したことから、セシルはこのままアンヌに自分の自由を封じられることを恐れ、なんとか二人の間を裂こうと画策する。
その結果…。
あまりに有名な作品だから、今さらネタバレというのもないだろうけれど。
今読んだら、なぜ当時あんなに熱狂的にみんながサガンを読んでいたのか、よく分からない。
時代の流れだったのだろうか。
セシルの父のレイモンが、まあ、子ども。
自己を律することができない。
だからセシルにいいようにやられてしまうのだ。
元カノになったのエルザも、セシルの彼のシリルも、行動の判断をセシルに任せている時点で大人ではない。
唯一セシルと対峙できたアンヌも、大人としてもっと余裕をもって接すればこれほどまでにこじれることは無かったろうにと思うと、やはり大人とは言い切れないと思う。
1950年代のフランスって、こういうおとな子どもみたいな人ばっかりだったのかしら。
やっぱりフランス文学は合わないなあ。
