記憶に残ってる学校の先生

記憶に残っている先生も、お世話になった先生もたくさんいますが、今回は中学校の国語の先生の話。

毎日宿題を出されました。

だから男子などは、本当に嫌がっていました。

でも、社会人になってから、一番役に立ったのが、この宿題でした。

 

要約

 

最初は300字くらいの文章を出して「100字に要約しなさい」

次はその文章を「50字に要約しなさい」

徐々に短くしていって、最終的には10字くらいまでに要約する。

 

これ、テストのときも役に立ったけど、社会人になって本当に役立った。

だいたい何を言おうとしているのか、というのが直感的にわかるようになったから。

 

当時は面倒くさかったその宿題、大人になったらわかる。

毎日お題の文章を考えて、生徒一人一人の下手くそな文字で書きなぐった文章を読むのはとても大変だったろうことを。

自分の子どもの作文を読むのも結構うんざりだったから、今の私には先生に感謝しかない。

 

長文読解苦手だった次男に、指示代名詞が示す名詞と、接続詞の方向(順接・逆接)に注意して読めとアドバイスできたのも先生のおかげ。

先生の知らないところで、親子二代がお世話になりました。

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本日の読書:源平絵巻物語 第三巻 源頼朝 赤羽末吉 絵 今西祐行 文

Amazonより
『平治の乱で平家に敗れ、伊豆に流された源氏の少年武者頼朝が、後年関東で旗上げして平家を滅ぼし、鎌倉に幕府を開くまでを描く。』

私は頼朝があまり好きではない。
まず第一に器が小さい。
疑心暗鬼に陥ったあげく、血の繋がった弟であろうが容赦なく殺す。
源氏の棟梁でさえなかったら、どうしてついていこうと思うものか。

これは絵本なので、そういうドロドロした部分は今回描かず、頼朝が人の心の優しさによって命拾いをした部分をメインに、征夷大将軍になって鎌倉に幕府を開いたところまでとなっている。
池禅尼(いけのぜんに)に対しては命を救ってもらって感謝していたと思うけど、梶原景時に対してはどう思っていたのだろう。
感謝だったのか、借りを作ってしまったと思っていたのだろうか。

運が頼朝に味方したしたというのもあるだろうけど、やっぱ、器じゃないと思うのだよなあ。