おばさんが書くメールの文章の最後に”。”がつくと、若者が恐怖を抱く…らしい。
で、それを「おばさん構文」というのだとか。
そしてそれは「マルハラ(マルハラスメント)」というのだそうだ。
よく分からない記事です。
わたしはおばさんなので、当たり前に文末は”。”で締めます。
若い人に句点を使わない人がいることも気づいていましたが、だからどうだと思ったことはありません。
が、若者が恐怖を抱くというのなら、わたしも句点なしにはもやもやを感じます。
だからどうだということではありませんが。
実際おばさんなので、おばさん構文で何が悪いのかよくわからないです。
実際おばさんでも若者が恐怖を感じないように、若者ぶった文章を書けということなのでしょうか。
かつては若者に中途半端に迎合した、おじさん構文、キモイといっていたではないですか。
そもそも、文末の”。”に恐怖を感じるのなら、学校で教科書を読むのも大変つらかったろうと思います。
でもそんなニュースを聞いた覚えはないなあ。
ランドセルが重くてつらい、は、毎年のように聞くけれど。
本当に若者が恐怖を抱いているのか、どうにも疑問です。
話題作りのために「おばさん構文」なんて言葉でおばさんを嗤い、「マルハラ」なんて言葉で縛ろうというのなら、そちらの方がよほどハラスメントじゃないでしょうか。
世代の違いなんてあって当たり前。
そんな違いを格差のように騒ぎ立てるマスコミって、よほどニュースがないのかしら。
いえ、本来取材して分析してニュースにするべきものを見ないようにするために、あえてどうでもいいことを騒ぎ立てているように思います。
本当に”。”に恐怖を覚える若者がいるとしたらごめんなさいね。
でも、本当に恐怖を感じるのなら、その原因を究明したほうがいいと思いますよ。
赤の他人のおばさんの文章なんて読まなくてもかまわないけれど、学校の教科書、プレゼン用の資料、機械の取説など、読まねばならないものにも句点はついています。
社会生活に支障が出るようであれば、なんらかの治療が必要とおばさんは考えます。(まじめな話)
本日の読書:大学病院が患者を死なせるとき 私が慶応大学医学部をやめない理由 近藤誠
カバー裏よりより
『「治癒率は同じなのに乳房を切り取るのは外科医の犯罪行為」「がん検診は百害あって一利なし」「切って治ったと思っているのは、がんではなく『がんもどき』」……。日本の医療常識に真っ向から対立する論文を次々と発表し、医学会を驚愕させてきた一人の医師。開業医の子として生まれたエリート医師が、いかにして革命・真実の道を歩み始めたのか。大学病院を舞台に、たった一人で医学界の常識や権力構造と戦い続ける医師の、壮絶なる闘争物語!』
30年以上前のこととはいえ、がんに対する医療行為の無惨に、読んでいて苦しくなってしまう。
癌を切除する手術によって、体力が低下し、免疫力が低下し、傷口から入った細菌により感染症になったり、傷口が壊死したり。
実は手術なんてしないほうが生存率が高くなる、と。
現在はまた医療技術の向上や、有効な抗がん剤などで、必ずしも開腹手術に頼らない治療になっているけれど、もしかすると私が知らないだけで、今でも不当な治療で苦しんでいる人がいるかもしれないと思ったら、ちょっと耐えられない。
友だちが乳がんの再発で、現在辛い治療中なのでよけいに。
著者が患者ファーストで考えるのは、今でいうQOL(クオリティ・オブ・ライフ)。
癌を切除すればいいってものではない。
がん検診だって、手間とお金をかけて、さしたる効果はない、という。
だけど、私自身がん検診でがんが発見されて切除した身なので、「こんなひどい目にあった人がいる」事例が次々と紹介されると、ショックがないとは言えない。
そして、抗がん剤より体の負担が軽いホルモン剤を服用し続けているけれど、薬の副作用で骨粗しょう症になり、その治療薬の副作用で、いま大変胃があれている状態である。
癌は、切ったら終わり、ではないのだ。
そこからの治療が長くてしんどい(場合が多い)のだ。
だから、自分がこのような状態になったらどうしようと思うと、やっぱり不安だ。
今は元気なはずなのに。
”副作用のことを考えて悩めというのは高望みかもしれない。しかしそれでも、副作用が生じたときに後悔しないためには、患者は自分で考え、よく納得してジャンプする必要がある。”
と言われても、やっぱり信頼しているお医者さんにお任せしたいと思う。
余計なことを言ってお医者さんを煩わせるより、気持ちよく治療してほしいという思いがある。
私は今現在、行われた治療に後悔はしていないけれど、再建した胸への違和感は思った以上で、未だに寒い日が続くと胸にプラスチックのお椀のようなものをかぶせているような異物感が気になってしょうがない。
手術後しばらくしたら、傷の痛みなんてなくなると思っていたから、こんなふうに感じるとは全く思っていなかった。
だけど、自分の体にメスを入れて、自主的に重症状態になるのだから、後遺症が残って当たり前なんだな、と自分に折り合いをつけている。
全然話は変わるが、著者がロスアラモスに留学した時の記述。
”町には、研究員や職員とその家族、オヨに彼らを目当てとする商業関係者しか住んでいない。親たちの職業を反映してか、子供たちの平均学力は全米トップクラスで、戸締りをしないで寝ても安全だといわれた。”
30年ほど前、茨城県つくば市に住んでいたことがあって、まさしくこのような研究者と公務員しかいない町だったけれど、痴漢や変質者が多くて、とてもじゃないけど安全ではなかった。
変質者に襲われたら「助けて~」ではなく、「火事だ~」と叫べ、と学校で教えるくらい。
「助けて~」だと係わりになりたくない人は聞こえないふりをすることがあるけれど、「火事だ~」だと必ず様子を見に来るから。
