私は腕時計ができません。

金属アレルギーなので。

一日腕時計をしようものなら、外した時に文字盤と同じサイズに皮膚が赤く腫れあがっちゃう。

 

以前は公共の場所や街角には必ず時計があったのですが、最近はみんなスマホを持っているせいか、駅なども時計が見当たらなくて苦労することも多くなりました。

とはいえ、私もスマホは持っていますから普段は困らないのです。

 

でも空港とか病院とか、あるいは映画館や観劇の時など、スマホを使うわけにいかない場所も時計がありません。

困ったな―。

と、前々から思ってはいたのですが、今回の関西行をきっかけにバッグにつけるチャームタイプの時計を買いました。

 

これ、思った以上に便利です。

わざわざスマホを起動させなくても、ちょっと見れば時間がわかりますから、迷子になって待ち合わせに遅れそうなときなど、走りながら横目で時間を確認できますので、大変便利です。

 

ただ、最近モスグリーンのバッグを買ったので、つい時計もそれに合わせた色のものにしてしまいましたが、旅行に持って行ったのは濃紺のバッグでしたから、ちょっと色味が合わず、隠すように取り付けてしまいました。

高いものではないので、バッグに合わせていろいろ用意するのも手ですが、そこまでする必要もないでしょう。

 

伊丹空港はとても目に付くところにたくさん時計があって、却ってこれ必要なかったくらいです。

 

 

 

 

本日の読書:津軽 太宰治

 

 

カバー裏より
『昭和十九年五月、津軽風土記の執筆依頼を受けた太宰は、三週間かけて津軽地方を一周した。生家と義絶して以来、帰るのを憚っていた故郷――。懐かしい風土と素朴な人柄に触れ、自らにも流れる津軽人気質を発見する旅は、「忘れ得ぬ人たち」との交歓の日々でもあった。やがて、旅の最後に、子守・たけと三十年ぶりに再会を果たし……。自己を見つめ直し、宿命の地・津軽への思いを素直に綴った名紀行文。』

この年になるまで『走れメロス』以外ほとんど読んでこなかった太宰治。
そりゃあ、いつかは読もうと思っていましたよ。
でも、今まで縁がなかったのね。

この作品が太宰初心者向けなのかどうかわかりませんが、面白かったです。
今まで勝手に思っていた、ナルシストのような、ちょっと重ためのコマッタちゃんのような太宰ではなく、素直で軽やかな文章に、とても好感を抱きました。

そして、実にこの本は、今読むべき本として私の前に現れた本でした。

まず、2年前の秋に津軽地方を旅行したので、景色の描写など、割とわかりやすかったこと。
今別、竜飛岬、鰺ヶ沢、十三湖、合浦公園。
特に太宰が青森の高校に通っていた頃よくとおっていた合浦公園は、私の思い出の場所でもある。
単純に嬉しい。

それから
”「津軽」本州の東北端日本海方面の呼称。斉明天皇の御代、越の国司、阿倍比羅夫出羽方面の蝦夷地を経略して齶田(今の秋田)渟代(今の能代)津軽に到り、ついに北海道に及ぶ。これ津軽の名の初見なり。”
これ、蝦夷地の名の初見でもある。
最近北海道の歴史を勉強していて、読んだばかりの部分だったので、これもタイムリー。

ついでに津軽氏の歴史についても、高橋克彦の小説で少しわかっていたので、若いころ読むよりは、いろんな意味で理解しやすくなったと思う。

でも、この本は津軽を理解するために読むわけではない。
やっぱり太宰の文章を愉しむために読むのがよいのだろう。

とはいえ、
”家へ帰って兄に、金木の景色もなかなかいい、思いをあらたにしました、と言ったら、兄は、としをとると自分の生れて育った土地の景色が、京都よりも奈良よりも、佳くはないか、と思われてくるものです、と答えた。”
という、太宰の兄の台詞は、なんだかしみじみ好かったなあ。
太宰の文章ではないけれど。

最後の、30年ぶりに子守のたけに会いに行ったときのエピソードも実にしみじみ好いのだけど、蟹田のSさんの、激しすぎる接待ぶりには思わず笑いが込み上げてしまった。
作中ではぼかしてあるけれど、明らかに志賀直哉と思われる人物への悪口を言えば言うほど、文学ファンから引かれてしまうところも、いかにも不器用な感じで、全体的に愉快に読んだ。