孫は来て嬉しい、帰って嬉しいとはよく言われることですが、娘も、そう。
来てくれればもちろん嬉しいし、毎日楽しいのですが、帰ると淋しい反面どっと疲れが押し寄せて、少しほっとしたりもします。
10さんも、「今日のお昼はうどんでいい?」とか「晩ご飯は作らなくていい?」なんて言って、ソファでぐったりしています。
いやそれ、飲み疲れだと思いますが。
ところで今日のおやつはこれ
中部地方の人からいただくお土産№1と言っても過言ではない(我が家の場合)「ゆかり」を、知らないと10さんが言うので、大丸で買ってきたものです。
コーヒーには合いませんでしたが、「ゆかり」は美味しい。
これを知らないなんて、日本人としてもぐりじゃないの!?
「おいしい、これ」←そうでしょう、そうでしょう
「もっと食べたい」←甘えるな!
本日の読書:白の祝宴 逸文紫式部日記
カバー裏より
『時は平安。人々の注目を集めるひとりの女性がいた――その名は紫式部。かの『源氏物語』の著者だ。実は彼女は都に潜む謎を鮮やかに解く名探偵でもあった。折しも、帝が寵愛する女性が待望の親王を出産、それを祝う白一色の華やかな宴のさなかに怪盗が忍びこみ、姿を消した。式部は執筆のかたわら怪盗の正体と行方に得意の推理をめぐらすが……。鮎川賞受賞作家による王朝推理絵巻。』
ぶっちゃけ言っちゃうと、前作『千年の黙』に比べて冗漫です。
が、底本の『紫式部日記』が面白くないのだそうです。
あとがきで作者がそう書いていました。
私はずっと『紫式部日記』」って『蜻蛉日記』のような日記文学、または日記という態を借りた『枕草子』のような随想だと思っていたのですが、実は中宮・彰子の出産時に、中宮付きの女官たちの様子を記録した記録文学のようです。
ところが、文章の統一がなされていないんですって。
『源氏物語』を書いた同じ作者の作品とは思えないくらいのクオリティの低さに、『紫式部』という(ひとりの)人物はいなかった説まであるくらいなのだそうです。
それを逆手に取った『紫式部日記』成り立ちの謎、というのがまずあって、さらに作中では「消えた強盗の謎」と「呪符の謎」があります。
この、作中の謎が長いのよ。
何しろ平安時代の貴族ですから、もってまわった遠回りの言い方、はばかりが多くて言えない事柄が多すぎて、話が進まない、進まない。
前作では、賢くもおおらかで屈託のない彰子中宮でしたが、今回大人になった彼女は賢いのが少し鼻につきました。
空気を読むのが仕事のような女官たちに、思わせぶりな態度によって勝手に右往左往させ、紫式部をミスリードしていく彰子中宮は、自分のしていることの意味を承知しているわけで、それが上に立つものの特権であり義務であると承知しているのだろう。
で、この当時紫式部は藤式部(藤原家の式部の意)とは呼ばれていても、紫式部と呼ばれることはなかった。
紫って高貴な色だし、何より『源氏物語』のイメージが強い。
自らを紫式部なんていおうものなら、女官仲間たちからどんな嫌がらせを受けるかわからない。
では構成彼女が紫式部という名で有名になったのはなぜか。
本当に、謎だらけの作品ですが、展開はゆったり。
いや、長かった。
ところで、つまらないという評価の『紫式部日記』が、どうして後世に残ったかというと、貴族の書く日記は公文書として残されるけれど、裏方の女性たちが中宮の出産に対して何をどうしたのかというオフィシャルな裏日記だったのではないか、と思いました。
貴族の男性の日記はいまでも国立公文書館などで閲覧できるのです。
公文書だから。
だけど、貴いお方の出産だからといって、身につけるものすべてを真っ白なものでそろえる。
布だけではなく糸も含めて。
中宮だけではなく、館にいるすべての人たちが。
穢れなき白を尊ぶのはわかるけど、この状態を保つってどれだけ大変か、男の人たちは想像もつかないでしょう。
だから女性たちがどのような衣装で、どう過ごしたのかを事細かく書く必要があった。
今読めば下らん内容かもしれないけど、当時は切実なハウ・トゥだったと思います。
時代が変わって必要なくなったため、江戸時代に写本が1冊しか残らなかったのではないか。
なんて考察もしてしまう位内容の濃い本ではありましたが、如何せん長すぎです。
