毎日忙しい日が続いていますが、ちょっと事情があって明日休暇をとることにしました。
それでも忙しいので、用事を終えたらすぐ仕事をしに来ようと思っていたのです。
が、残業の申請をするとき、課長に「休暇をとる予定なのに、今日残業?」って言われて、ちょっとカチーンときたのでした。
じゃ何?
明日休暇取るんだから、残業しないで仕事を残して帰っていいってこと?
違うでしょ?
それとも、残業するくらい忙しいなら休暇取るなってこと?←甚だしい働き方改悪
だって用事があるんだもの。
土日に絡めて金曜や月曜に休暇をとって道内旅行を楽しんでいる課長は知らんかもしれないけど、ここ数週間ずっと私は忙しかったんだよ。
なんなら夏季休暇に引き続いて2泊3日の出張に行くリーダーに「溜まってる仕事、いつやるの?」って聞いてくれよ。
忙しいなら誰かに仕事を振り分けなよ、と思うでしょ?
無理なの。
手戻りが多すぎて、却って仕事が増えるから。
リーダーのくせに一向に仕事を覚えなくてとにかく仕事の遅い人と、雑でいい加減な人と、新人しかいないの。
彼らに振り回されて、無駄に忙しなっていることは否めないけど、それ、私のせい?
で、用事のため数時間休暇をもらおうと思ったら嫌味ですか。
もう、やってらんない。
はたらきたくない。
とりあえず用事のほうは解決したので、休暇取り消しで、明日も職場で消耗してきます。しくしく。
本日の読書:エミリー マイケル・ビダード ぶん バーバラ・クーニ― え
Amazonより
『アマーストのせの高い生け垣にかこまれた黄色い家には、20年近くも家の外に出ないでくらしている女の人がいました。見知らぬ人が声をかけると、走ってかくれてしまいます。家にお客様を招いたときでさえ、その人は見えない所にいるのです。人々は彼女のことを“なぞの女性”と呼んでいました…。この絵本は“なぞの女性”エミリー・ディキンソンと少女の思いがけない出会いの日を美しく格調高い絵で、描いています。詩人のおだやかな日常と特別な世界をちらりとわたしたちにみせてくれる、この絵本は、アメリカの偉大な、そしてよく親しまれている詩人エミリー・ディキンソンの謎とそれを包みこむ世界の喜びをよくとらえているといえるでしょう。1993年度コルデコット賞受賞作。』
多分バーバラ・クーニ―の絵が好きで、読みたいと思ったのだと思います。
表紙の、青いケープコートとマフの女の子のことをエミリーと言うのだと思っていました。
エミリーとは表紙の、2階の左端の部屋から外を見ている女性のことです。
語り手の私はまだ本の少女で、新しい家に引っ越してきたばかり。
その家の向かいにある黄色い家には、町の人たちから”なぞの女性”と呼ばれている、20年近くも家の外に出たことのない人が、妹とふたりですんでいました。
少女のお母さんはピアノが得意で、ある日”なぞの女性”から、「家に来てピアノを弾いてくれ」と正体を受けます。
少女もついていきますが、”なぞの女性”は姿を現わしません。
でも、部屋の外に出ると、階段の踊り場で小さな椅子に座ってピアノを聞いていた女性がいたのでした。
少女はポケットからユリの球根をふたつ取り出し、「春を持ってきてあげたの」と言います。
少女と女性の小さな交流。
それだけの絵本ですが、とても温かい気持ちになれる絵本です。
途中で、エミリーの正体はわかりました。
生涯を屋敷の中で隠遁して過ごし、死後になって大量の詩が発見され、アメリカの人たちに愛されている詩人、エミリー・ディキンソンのことですね。
私ちょっとエミリー・ディキンソンって、宮沢賢治に似ているような気がしていました。
死後に作品が発見されたこと、その作品を多くの人が知っていて国民的詩人であること、子ども好きなこと、自然に対する観察の鋭さなどなど。
だけど日本語に訳された彼女の詩を読んでも、あんまりピンとこなかったんですよね。
国民性の違いなのか、私の感受性の問題なのか。