長男と3人で言ったお寿司屋さんのお会計。
引っ越し祝いのつもりで、いつもよりちょっと予算をお高めに設定したのですが、
結局長男が払ってくれました。
すまぬ。
次回の引越し(いつ?)のときは、セコマのおにぎりでお祝いするわ。笑
本日の読書:ハドリアヌス帝の回想 マルグリット・ユルスナール
Amazonより
『古代ローマ帝国の皇帝ハドリアヌスは、病に伏し、みずからの人生と治世の終わりを予期する。そして、二代後の後継者と定めたマルクス・アウレリウスに宛てた書簡というかたちをとって、旅の日々、後継者問題の悩み、そして何より愛した人の死を振り返る--。皇帝の威厳にふさわしい抑制された筆致をもって語られる、ひとりの人間の深い内省の物語である。巻末エッセイ=堀江敏幸』
古代ローマ帝国五賢帝の一人ハドリアヌスが、人生と治世の終焉を迎え、次期後継者のさらに後継者であるマルクス・アウレリウス(『ミステリと言う勿れ』でおなじみ『自省録』を著した哲人皇帝)に宛てて書いた回想録、という態の小説。
カエサルほどではないけれど賢帝と言われたハドリアヌスの治世については、塩野七生の『ローマ人の物語』で多少予習していた…はずなのに、思い出すのはモンテーニュが『エセー』に書いていた部分ばかり。
有名な部分をモンテーニュが切り取ったのか、私の記憶力のせいなのか。
ハドリアヌスは人間存在を評価するのに三つの手段があるという
1.自己自身の研究
2.他人を観察すること
3.書物
だからなのかな。
やっぱり寛容なのである。
”世の中には二種類以上の知恵があり、いずれも世界には必要なのである。それらが交替し合うのはわるいことではない。”
子どもがいなかったからかもしれないが、自分は皇帝への野心を持っていた割に、後継者に対してはこだわりがないというか、揺らぎがあるというか…。
結果賢帝の時代が続いたのだからよかったけれども。
ハドリアヌスがマルクス・アウレリウスに目を付けたのは、マルクス・アウレリウスがまだ幼少の頃。
見る目があるにもほどがある。
面白かったのは、キリスト教の「己れを愛するごとく他人を愛せよ」という教えに対しての考察。
”この命令は俗人が心から従うにはあまりに人間の天性に反しており、俗人は自分自身しか決して愛さないであろうし、特に自分自身を愛するわけではない賢者には、この命令はふさわしくないのである。”
確かに。
切れ者の皇帝の回想は、波乱万丈の人生を静謐な文章で綴られたもので、叙事詩のような趣も感じられる。
マルクス・アウレリウスに宛てて書かれているはずだけれど、多分彼の目に、既にマルクス・アウレリウスは写っていなかったのではないか。
自己弁護や過大評価などない、逆に若くして自死した恋人・アンティノウスについて赤裸々に語っているのは、同性愛に対する感覚が今とは違っていたとしても、あまりにプライバシーにすぎるような気がする。
一つ気になったのが、「薄肉彫り」という言葉。
読めば、レリーフの一種であることはわかるのだけど、だとしたら「薄く繊細なレリーフ」とかの表現にしてほしい。
「薄肉彫り」という言葉が正しいのだけれど、あまりにパワーワードすぎて、一瞬目が留まってしまうので。
