どんな旅をしてみたい?
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無計画で、行き当たりばったりの旅をしたいです。
札幌の来る観光客の方たちを見ていると、きっちり下調べをして、観光コースも食事の場所も、まるで団体旅行のようにかっちりと決まっているみたいです。
そういう旅行が好きな知人は、「せっかくお金払って休みとって旅行に行くのだから、はずれを引きたくない。失敗したくないんです」と言います。
それはわかるのですが、人ごみも行列も嫌いな私にはできない技だなあ…。
そりゃあ、私もはずれを引きたくないけど、でも、旅先の失敗って笑い話にしちゃえば一生モノのネタになるのになあってもったいなく思っちゃう。
まあ、たまには思い出すたびに不愉快になるような出来事もありますが。
でも、10さんと旅の思い出を話していても、大抵は失敗談だったりします。
せっかくの展望台が霧で真っ白だったこと、思ったよりちゃちかった名所、口に合わなかった名物料理。
逆に、村山駅の駅前食道の大将と札幌ラーメンについて話したこと、ねぎそばのインパクト、地名の謎、マンホールのデザインの意味、知らずに接したからこそ大きな思い出になったこともたくさんあります。
リサーチするのはいいけれど、それにとらわれずに、柔軟に旅を楽しめばいいのになあって思います。
人それぞれですからもちろん無理強いはしませんけれど、私は無計画で行き当たりばったりの旅をしたいです。
本日の読書:熱帯 森見登美彦
*今日はAmebaPickの調子が悪いので、書影はなしです
Amazonより
『沈黙読書会で見かけた『熱帯』は、なんとも奇妙な本だった!謎の解明に勤しむ「学団」に、神出鬼没の古本屋台「暴夜書房」、鍵を握る飴色のカードボックスと、「部屋の中の部屋」…。東京の片隅で始まった冒険は京都を駆け抜け、満州の夜を潜り、数多の語り手の魂を乗り継いで、いざ謎の源流へ―!』
これはまた説明の難しい作品を読んでしまったものです。
五つの章と後記でなっているこの作品は、第三章と第四章の間に大きな断絶がある。
これを許容できるかどうかで作品の評価が変わるのではないでしょうか。
第一章から第三章は、現代の日本が舞台。
最初に登場するのはスランプに陥った作家・森見登美彦。
極些少な事実はあるかもしれないが、三章まではエンタメ小説。
最後まで読み終わらないうちに消えてしまう『熱帯』という本を巡る人々を、「沈黙読書会」「暴夜(あらびや)書房」「学団の男」など思わせぶりなガジェットを使いつつ、迷宮へ誘っていく。
もちろん読者も。
しかし第四章からは突然記憶を失った男が、どことも知れない小島に流れ着いてから魔王と対峙するまでを書く、ファンタジーのような純文学である。
エンタメ部分は普通に面白かった。
しかし純文学部分は抜群に面白かった。
入れ子細工のような、メビウスの輪のような、二転三転する展開。
そこに論理的な整合性はない。
けれども、今までの自分の読書体験が物凄く揺さぶられたのだ。
この本自身は『千一夜物語』をモチーフにしている。
そして、四章以降は『ロビンソン・クルーソー』や『海底二万海里』や『宝島』などの冒険小説のイメージを前面に押し出しながら、『不思議の国のアリス』や『山月記』のエッセンスをまぶしている。
そして『西遊記』恒川光太郎の『夜市』、エンデの『はてしない物語』、ハミルトンの『フェッセンデンの宇宙』、新井素子の『大きな壁の中と外』など、自分の読書体験から想起する作品が、より一層この作品を深掘りさせてくれる。
多分無意識下ではもっとたくさんの作品が浮いたり沈んだりしていたのだと思う。
第四章と第五章はあくまでも森見登美彦が書いた『熱帯』であって、読者それぞれの『熱帯』があるというのが第三章までの話なのかな。
後記でそれを表しているとも思えるし、それはまたエンタメに戻っていったとも言える。
まるでメビウスの輪のように。
そして創造することの苦しさを吐き出してもいる。
私に創造の魔術が使えなくて本当によかったな。
猿でよかった。
最近の、と言っても数年前のだけど本屋大賞ノミネート作品を読んで感じる違和感というか、これじゃない感の正体がわかった。
私は作者の広く深い読書体験を基礎に持つ作品が好きなのだ。
最近のふわふわした「いい話」的作品の、テーマへの肉付けの薄さに拒否反応があるのだな。
若い作者ならまだしも、ある程度の年齢でこの程度?って。
まあそれでも読みますが。←いったい何様なのか
ただ今『千一夜物語』を全巻読破したい欲がふつふつと…。
あまりにも膨大でこんがらがったこの作品の全巻読破なんて、20代の頃早々にあきらめたはずなのに…。
森見登美彦。罪なお人。
*今日はAmebaPickの調子が悪いので、書影はなしです
Amazonより
『沈黙読書会で見かけた『熱帯』は、なんとも奇妙な本だった!謎の解明に勤しむ「学団」に、神出鬼没の古本屋台「暴夜書房」、鍵を握る飴色のカードボックスと、「部屋の中の部屋」…。東京の片隅で始まった冒険は京都を駆け抜け、満州の夜を潜り、数多の語り手の魂を乗り継いで、いざ謎の源流へ―!』
これはまた説明の難しい作品を読んでしまったものです。
五つの章と後記でなっているこの作品は、第三章と第四章の間に大きな断絶がある。
これを許容できるかどうかで作品の評価が変わるのではないでしょうか。
第一章から第三章は、現代の日本が舞台。
最初に登場するのはスランプに陥った作家・森見登美彦。
極些少な事実はあるかもしれないが、三章まではエンタメ小説。
最後まで読み終わらないうちに消えてしまう『熱帯』という本を巡る人々を、「沈黙読書会」「暴夜(あらびや)書房」「学団の男」など思わせぶりなガジェットを使いつつ、迷宮へ誘っていく。
もちろん読者も。
しかし第四章からは突然記憶を失った男が、どことも知れない小島に流れ着いてから魔王と対峙するまでを書く、ファンタジーのような純文学である。
エンタメ部分は普通に面白かった。
しかし純文学部分は抜群に面白かった。
入れ子細工のような、メビウスの輪のような、二転三転する展開。
そこに論理的な整合性はない。
けれども、今までの自分の読書体験が物凄く揺さぶられたのだ。
この本自身は『千一夜物語』をモチーフにしている。
そして、四章以降は『ロビンソン・クルーソー』や『海底二万海里』や『宝島』などの冒険小説のイメージを前面に押し出しながら、『不思議の国のアリス』や『山月記』のエッセンスをまぶしている。
そして『西遊記』恒川光太郎の『夜市』、エンデの『はてしない物語』、ハミルトンの『フェッセンデンの宇宙』、新井素子の『大きな壁の中と外』など、自分の読書体験から想起する作品が、より一層この作品を深掘りさせてくれる。
多分無意識下ではもっとたくさんの作品が浮いたり沈んだりしていたのだと思う。
第四章と第五章はあくまでも森見登美彦が書いた『熱帯』であって、読者それぞれの『熱帯』があるというのが第三章までの話なのかな。
後記でそれを表しているとも思えるし、それはまたエンタメに戻っていったとも言える。
まるでメビウスの輪のように。
そして創造することの苦しさを吐き出してもいる。
私に創造の魔術が使えなくて本当によかったな。
猿でよかった。
最近の、と言っても数年前のだけど本屋大賞ノミネート作品を読んで感じる違和感というか、これじゃない感の正体がわかった。
私は作者の広く深い読書体験を基礎に持つ作品が好きなのだ。
最近のふわふわした「いい話」的作品の、テーマへの肉付けの薄さに拒否反応があるのだな。
若い作者ならまだしも、ある程度の年齢でこの程度?って。
まあそれでも読みますが。←いったい何様なのか
ただ今『千一夜物語』を全巻読破したい欲がふつふつと…。
あまりにも膨大でこんがらがったこの作品の全巻読破なんて、20代の頃早々にあきらめたはずなのに…。
森見登美彦。罪なお人。
