昨年秋に新潟で買ってきた、『新潟5大ラーメンセット』の最後は、絶対美味しいことを知っている長岡生姜醤油ラーメンでした。
やっぱり背脂こってりより、あっさり系が好きなのよ。
しかも今回はみょうがと高菜も乗せてみた。(とてもあっさり)
今年度からは基本的に水曜日にテレワークをすることにしました。
うちの職場は水曜日と金曜日が残業禁止デーなので、木曜日にテレワークをすると(テレワークも残業が難しい)、週の後半が全然残業できなくなっちゃうので。
とはいえ、よほどじゃないと残業しませんし、今年はラストイヤーなので有休もたくさん取りたいと思っているので、何曜日でもあまり関係ないんですけどね。
本日の読書:お菓子と麦酒 サマーセット・モーム
感想を書くとネタバレにならざるを得ないので、どうしたものかと少し悩みましたが、世界的名作として有名だし、何よりもストーリーを知っていたとしても十分楽しめる作品だからいいよね。
そもそも小説には、ストーリーを前もって知ってしまうと興を削がれる作品と、その面白さがあらすじにあるわけではない作品とがあると思うのだけど、今はネタバレがコンプライアンス的に(?)いかがなものかという風潮だから、一応断っておきます。
さて、一人称で書かれているこの小説は、語り手の少年時代に近所に住んでいた、作家とその妻との交流がその軸となっています。
主人公のわたしは、牧師である伯父夫婦に育てられています。
つまり地元の名士です。
ドリッフィールドという作家は、若い頃無鉄砲で、労働者階級の暮らしをしていたこと、その妻もまた飲み屋で働いていたことなどから、世間は彼らを快く思っていません。
当然少年だった彼も、大人に倣った行動を取ろうと思うのですが、自転車に乗る練習につきあって貰ったりしているうちにすっかり仲良くなり、伯父たちに内緒でつきあうことにします。
というのも、作家夫婦はとても気さくで、いつも朗らかで、生活を、人生を楽しんでいるように見えるからです。
が、突然彼らは夜逃げをしてしまいます。
ツケでしていた買い物の代金を踏み倒して。
その後医学生になった主人公は、ロンドンで彼らに再会し、結局何事もなかったかのように旧交を温めます。
しかし少し大人になった彼は気づいてしまいます。
作家の妻・ロウジーは、あまりにも男友達と気やすすぎるのではないか。
いろんな噂も耳にします。
そして彼もついに、一線を越えてしまい、「自分こそ本物の恋人だ」と思い込もうとしますが、彼女は主人公も知っている別の男性と駆け落ちしてしまいます。
後年ひとかどの作家になった主人公は、時代を代表する大作家となったドリッフィールドの伝記を書くという同年代の作家に若かりし彼のことを聞かれ、あれやこれや思い出す。
という話ですが、大切なのはそんなことではないのです。
階級社会イギリスの、庶民ですら自分の下の者を見下げるような世間で、自由闊達であろうとするドリッフィールド夫妻の姿は、実に清々しいのです。(たとえ借金を踏み倒したとしても)
”妾(わたし)はディケンズは非常に粗野だと思いますわ。は行の音の怪しい人達の出てくる小説なぞ、妾、読むのは御免です。”
は行の音の怪しい人というのは、労働階級の下も下。
『マイ・フェア・レディ』の花売り娘レベルの階級です。
ところで、主人公も、作家のドリッフィールドも、ロウジーに捨てられたわけですが、では彼らは不幸だったのかというと、どうもそうは感じられない。
主人公は世間の風潮を気にしないで、自分の審美眼・選択眼を信じているため、メジャーになり切れていませんが、別段それすらも気にしてはいない。
その強さは、きっとロウジーに影響されていると思えます。
ドリッフィールドは後年再婚し、その妻の献身的な行動により大作家としての風格を得ることになりますが、彼の本質は、ロウジーと過ごした時にありました。
再婚を後悔していたとは思いませんが、都会のお屋敷に住めるくらいの立場になっても、故郷のそばに家を買い、地元の酒場に歩いて通います。
”わしは酒場が好きでといつもおっしゃってでした。そこでは人生が見られるし、わしはいつも人生を愛していたからなあとおっしゃるのです。”
年をとってこう言える人が、不幸なわけありません。
さて、直接ロウジーを知らない世間は、彼女をとんだ悪女と言ってはばかりませんが、彼女を知る主人公は「彼女は他人に楽しみを与えることが好きだったのです。それは彼女の人格になんの影響もありませんでした。」と言って、周囲をドン引きさせます。
タイトルの『お菓子と麦酒』というのは、人生に必要なわけではないけれど、ちょっとあると嬉しいものという意味のようです。
私にはロウジーのような生き方はできないけれど、ロウジーと出会って人たちは確かに豊かな人生をおくることができたのかもしれません。
ってなことをぐるぐると考えさせてくれるから、名作と言われる小説は面白い。
さて、作家である主人公がとても大切なことを教えてくれました。
”文章のこつは省略のしかたにある”
…頑張ります。(またしても長文、ごめんなさい)
カバー裏より
『文壇の大御所ドリッフィールドの妻ロウジーのおそるべき男性遍歴――文豪トマス・ハーディと当代の人気作家ヒュー・ウォルポールをモデルに、娼婦型女性の性的無軌道と無邪気で憎めない天衣無縫のチャーミングな女性像を描きながら、イギリス文壇の偽善的内幕と俗物性を痛烈に暴露風刺したというモームの代表的作品。ストーリィ・テラーの才能を縦横に発揮した名品である。』感想を書くとネタバレにならざるを得ないので、どうしたものかと少し悩みましたが、世界的名作として有名だし、何よりもストーリーを知っていたとしても十分楽しめる作品だからいいよね。
そもそも小説には、ストーリーを前もって知ってしまうと興を削がれる作品と、その面白さがあらすじにあるわけではない作品とがあると思うのだけど、今はネタバレがコンプライアンス的に(?)いかがなものかという風潮だから、一応断っておきます。
さて、一人称で書かれているこの小説は、語り手の少年時代に近所に住んでいた、作家とその妻との交流がその軸となっています。
主人公のわたしは、牧師である伯父夫婦に育てられています。
つまり地元の名士です。
ドリッフィールドという作家は、若い頃無鉄砲で、労働者階級の暮らしをしていたこと、その妻もまた飲み屋で働いていたことなどから、世間は彼らを快く思っていません。
当然少年だった彼も、大人に倣った行動を取ろうと思うのですが、自転車に乗る練習につきあって貰ったりしているうちにすっかり仲良くなり、伯父たちに内緒でつきあうことにします。
というのも、作家夫婦はとても気さくで、いつも朗らかで、生活を、人生を楽しんでいるように見えるからです。
が、突然彼らは夜逃げをしてしまいます。
ツケでしていた買い物の代金を踏み倒して。
その後医学生になった主人公は、ロンドンで彼らに再会し、結局何事もなかったかのように旧交を温めます。
しかし少し大人になった彼は気づいてしまいます。
作家の妻・ロウジーは、あまりにも男友達と気やすすぎるのではないか。
いろんな噂も耳にします。
そして彼もついに、一線を越えてしまい、「自分こそ本物の恋人だ」と思い込もうとしますが、彼女は主人公も知っている別の男性と駆け落ちしてしまいます。
後年ひとかどの作家になった主人公は、時代を代表する大作家となったドリッフィールドの伝記を書くという同年代の作家に若かりし彼のことを聞かれ、あれやこれや思い出す。
という話ですが、大切なのはそんなことではないのです。
階級社会イギリスの、庶民ですら自分の下の者を見下げるような世間で、自由闊達であろうとするドリッフィールド夫妻の姿は、実に清々しいのです。(たとえ借金を踏み倒したとしても)
”妾(わたし)はディケンズは非常に粗野だと思いますわ。は行の音の怪しい人達の出てくる小説なぞ、妾、読むのは御免です。”
は行の音の怪しい人というのは、労働階級の下も下。
『マイ・フェア・レディ』の花売り娘レベルの階級です。
ところで、主人公も、作家のドリッフィールドも、ロウジーに捨てられたわけですが、では彼らは不幸だったのかというと、どうもそうは感じられない。
主人公は世間の風潮を気にしないで、自分の審美眼・選択眼を信じているため、メジャーになり切れていませんが、別段それすらも気にしてはいない。
その強さは、きっとロウジーに影響されていると思えます。
ドリッフィールドは後年再婚し、その妻の献身的な行動により大作家としての風格を得ることになりますが、彼の本質は、ロウジーと過ごした時にありました。
再婚を後悔していたとは思いませんが、都会のお屋敷に住めるくらいの立場になっても、故郷のそばに家を買い、地元の酒場に歩いて通います。
”わしは酒場が好きでといつもおっしゃってでした。そこでは人生が見られるし、わしはいつも人生を愛していたからなあとおっしゃるのです。”
年をとってこう言える人が、不幸なわけありません。
さて、直接ロウジーを知らない世間は、彼女をとんだ悪女と言ってはばかりませんが、彼女を知る主人公は「彼女は他人に楽しみを与えることが好きだったのです。それは彼女の人格になんの影響もありませんでした。」と言って、周囲をドン引きさせます。
タイトルの『お菓子と麦酒』というのは、人生に必要なわけではないけれど、ちょっとあると嬉しいものという意味のようです。
私にはロウジーのような生き方はできないけれど、ロウジーと出会って人たちは確かに豊かな人生をおくることができたのかもしれません。
ってなことをぐるぐると考えさせてくれるから、名作と言われる小説は面白い。
さて、作家である主人公がとても大切なことを教えてくれました。
”文章のこつは省略のしかたにある”
…頑張ります。(またしても長文、ごめんなさい)
