今日はミモザの日ということで、「ミモザの日スタンプで投稿」ボタンを押したのだけど、これ、ミモザの花じゃないよね。

昨日の髙木くんのブログで、ミモザの写真見たばかりだもん、すぐ気づいたよ。

ありがとう、髙木くん。

 

 

 

 

 

 

 

 

本日の読書:心(うら)淋し川 西條奈加

 

Amazonより
『不美人な妾ばかりを囲う六兵衛。その一人、先行きに不安を覚えていたりきは、六兵衛が持ち込んだ張形に、悪戯心から小刀で仏像を彫りだして…(「閨仏」)。飯屋を営む与吾蔵は、根津権現で小さな女の子の唄を耳にする。それは、かつて手酷く捨てた女が口にしていた珍しい唄だった。もしや己の子ではと声をかけるが―(「はじめましょ」)他、全六編。生きる喜びと哀しみが織りなす、渾身の時代小説。』

目次
・心淋し川
・閨仏(ねやぼとけ)
・はじめましょ
・冬虫夏草(とうちゅうかそう)
・明けぬ里
・灰の男

表題作の『心淋し川』がまず良い。
お互いに想い合い、身分違いというわけでもないのに、結ばれないこともある。
それが縁というものなのかもしれないなあ。

しんみりした中で、くすりと笑ったのが、おちほに想いを寄せる仕立屋の手代に対するおちほの心の声。
”手代の長い申しようには少しも心が動かなかったが”
”はっきり言って、この手代に恋心など、とうてい抱けそうにない。”
そんなにダメ出ししなくても…。笑

『はじめましょ』は、すれ違って別れた男女の再会の話かと思いきや、最後に一ひねり。
簡単によりを戻させません。
しかし与吾蔵よ、大事なことは血の繫がりではないのだぞ。

逆に『冬虫夏草』は、母の業が怖い。
差配が最後に言う「子供のためと口にする親ほど、存外、子供のことなぞ考えてないのかもしれないな」が心に刺さる。
そこにあるのは愛情ではなく、ただの執着だ。

『明けぬ里』は良い女であらねばならぬ女の性(さが)だろうか。
それとも商品としての女と、人としての女の相克の結果か。
笑顔の下に押し殺した己の我に命を奪われたのかもしれないなあ。

差配の茂十が繋ぐ、ゆるい連作かと思ったら、最後の『灰の男』はがっつり茂十の話だった。
このために、先の話があったのか。
とも思ったけれど、死んだように生きるしかなかった男が生き直す場所は、この心町(うらまち)しかなかったのだろう。
そう思えば、生き直そうとしない『冬虫夏草』と『明けぬ里』が苦い読後感であったことも納得できる。