職場で、消費期限間際の防災食が配られました。
これ以前に買っていた防災食は厚真の地震の時に配ったので、いざという時用に結構大量に買ったらしく、今回は幸い災害がなかったので大量に消費期限を迎えようとしているわけです。
この写真は私の隣の男性の机。
豚汁と缶入りのパン。
ところで、豚汁って何て読みますか?
日本の多くの地域で「とんじる」と言っているのは知っていましたが、それは例えば自転車を「ちゃりんこ」っていうような、まあ若者言葉っていうか、通称っていうか、そういうものだと思っていました。
正式名称は「ぶたじる」。
北海道ではほとんどの人が「ぶたじる」と言います。
だって「ぶた」も「しる」も訓読みだもの。
自然な流れでしょ?
明治時代の料理本にも「ぶたじる」とルビがふってあったそうです。
ところが、昭和初期頃から「とんじる」が広まってきたらしい。
理由は諸説あるのでしょうが、「とんかつ」の「とん」に引っ張られたというのが、わたし的には説得力ありです。
でも、「ぶた」も「しる」も訓読みだからというのは、最近は説得力ないかも。
何しろ「にくじる」ではなく「にくじゅう」が主流になってきましたからね。
そのうち「とんじゅう」になるのかも。
「とん」も「じゅう」も音読みだし。
「にく」も「じゅう」も音読みだし。
重箱読み(音読み+訓読み)とか湯桶読み(訓読み+音読み)だっていいじゃないの。
私はこれからも「にくじる」と言うぞ。
そして「ぶたじる」だ!
本日の読書:そして、バトンは渡された 瀬尾まいこ
血の繋がった両親との縁が薄く、血の繋がらない母や父と、名字や住所を何度も変えながら育ってきた優子。
だからといって不幸だとは思っていない。
表現方法はそれぞれだけど、みんなきちんと優子を慈しんで育ててくれたから。
瀬尾まいこという人は、デビューの時からずっと、血の繫がりより大切なものが家族にはあると言い続けてきた。
極端な設定で描かれる家族の姿は「実際にはないよ」と言われながらも、多くの読者の支持を得てきた。
今回も、何人もの父や母の間を、リレーのバトンのように手渡されながら育った優子というのは、正直リアリティはない。
ましてや虐待や育児放棄などがニュースをにぎわす昨今、こんなにのほほんと育つかよ、と思う人も多いと思う。
だけど、だから、彼女はこの作品を書いたのだと思う。
『家族であるために大切なことは、血の繫がりではなく、家族であろうとする意志と愛情と努力。
ニュースになんてならないくらい当たり前に、幸せに暮らしているステップファミリーなんてたくさんいるよ。
ここまで極端なのはないかもしれないけれど(笑)』
と、脳内LINEにピコンと作者からのメッセージが届いた気がする。
優子は、血の繋がらない泉ヶ原からは動じない強さを、梨花からは芯の強さと行動力を、森宮からは柔軟な心を受け継いでいる。
なんだ、ちゃんと親子じゃん。
そう思って読んでいたはずなのに、最後まで読んで安堵の涙がこぼれてしまう。
いつもやられてしまうな。
あと、瀬尾まいこ作品はどれもこれも食事のシーンがいい。
決して幸せ満載の作品ばかりではないのだが、食べて幸せを感じられるのは救いだ。
作中で合唱曲『大地讃頌』の演奏シーンがあったので、映画も観ようと思ったけれど、映画では合唱コンクールではなくて卒業式のピアノのようなので、ないのかもしれない。
『大地讃頌』好きなので、ちょっと残念。
いずれにしても、いつか映画も観ようと思います。
カバー裏より
『幼い頃に母親を亡くし、父とも海外赴任を機に別れ、継母を選んだ優子。その後も大人の都合に振り回され、高校生の今は二十歳しか離れていない”父”と暮らす。血の繋がらない親の間をリレーされながらも出逢う家族皆に愛情をいっぱい注がれてきた彼女自身が伴侶を持つ時――。大絶賛の本屋大賞受賞作。』血の繋がった両親との縁が薄く、血の繋がらない母や父と、名字や住所を何度も変えながら育ってきた優子。
だからといって不幸だとは思っていない。
表現方法はそれぞれだけど、みんなきちんと優子を慈しんで育ててくれたから。
瀬尾まいこという人は、デビューの時からずっと、血の繫がりより大切なものが家族にはあると言い続けてきた。
極端な設定で描かれる家族の姿は「実際にはないよ」と言われながらも、多くの読者の支持を得てきた。
今回も、何人もの父や母の間を、リレーのバトンのように手渡されながら育った優子というのは、正直リアリティはない。
ましてや虐待や育児放棄などがニュースをにぎわす昨今、こんなにのほほんと育つかよ、と思う人も多いと思う。
だけど、だから、彼女はこの作品を書いたのだと思う。
『家族であるために大切なことは、血の繫がりではなく、家族であろうとする意志と愛情と努力。
ニュースになんてならないくらい当たり前に、幸せに暮らしているステップファミリーなんてたくさんいるよ。
ここまで極端なのはないかもしれないけれど(笑)』
と、脳内LINEにピコンと作者からのメッセージが届いた気がする。
優子は、血の繋がらない泉ヶ原からは動じない強さを、梨花からは芯の強さと行動力を、森宮からは柔軟な心を受け継いでいる。
なんだ、ちゃんと親子じゃん。
そう思って読んでいたはずなのに、最後まで読んで安堵の涙がこぼれてしまう。
いつもやられてしまうな。
あと、瀬尾まいこ作品はどれもこれも食事のシーンがいい。
決して幸せ満載の作品ばかりではないのだが、食べて幸せを感じられるのは救いだ。
作中で合唱曲『大地讃頌』の演奏シーンがあったので、映画も観ようと思ったけれど、映画では合唱コンクールではなくて卒業式のピアノのようなので、ないのかもしれない。
『大地讃頌』好きなので、ちょっと残念。
いずれにしても、いつか映画も観ようと思います。
