今日はねこの日。
それは知っていたけど、猫動画を見るくらいかな~なんて思ってた。
そうしたら今日の帰り際、猫好きの同僚に「マッピーさん、今日はどちらへ寄り道します?今日、猫の日ですよ。わたしはカルディに行こうかと思ってるんですよ」って言われてしまったの。
カルディは無理じゃない?
予約ですぐ完売してると思うけど。
って流れの中で、寄り道をしないわけがない。
もう、あまりものを増やさないようにしてるんだけどなあ…と言いながら↓のごとし
ユーハイムのスイーツセット。
リサ・ラーソンのバッグの中に、チョコチップクッキーとバウムクーヘンが入っています。
右上のダヤンの袋に入っている「塩キャラメルくるみ」だけはジュピターで買いました。
…見事に甘いものばかりじゃ。
本日の読書:銀河鉄道の父 門井慶喜
Amazonより
『宮沢賢治は祖父の代から続く富裕な質屋に生まれた。家を継ぐべき長男だったが、賢治は学問の道を進み、理想を求め、創作に情熱を注いだ。勤勉、優秀な商人であり、地元の熱心な篤志家でもあった父・政次郎は、この息子にどう接するべきか、苦悩した―。生涯夢を追い続けた賢治と、父でありすぎた父政次郎との対立と慈愛の月日。』
彼の作品はともかく、一生を俯瞰で見れば、理想は高いが腰の座らない、自立のできないパラサイト息子だった。
だからかわいい息子だったのか、だけどかわいい息子だったのか。
小説だと言い聞かせないと、これが事実だったんだと思ってしまう説得力。
子どもの頃の賢治は、近所の子どもたちの遊びのリーダーだった。
腕力があるわけでもないのに、友達は彼に従った。
なぜか。
”ひとたび、――こうする。と言ったら何があっても意見を枉(ま)げなかった。なるほど無敵だろう。大人の世界もおなじだが、議論に勝つのは弁の立つ人間ではない。話を聞かない人間なのである。”
理想主義者で、人見知りで、まっすぐで、勤勉で、体が弱くて、甘ったれ。
ああ、我が子だったらたまらんなあ。
ところが父・政次郎は違った。
天保生まれの父に厳しく育てられた政次郎は、成績優秀だったのに、「質屋に学問は必要ない」と進学を許されなかった。
政次郎の父・喜助は、傾いた家を建て直すため自分にも家族にも厳しい人だった。
だから政次郎もそうなるはずだった。
”あやしてやりたい衝動に駆られた。(中略)家長たるもの、家族の前で生(なま)をさらすわけにはいかぬ。つねに威厳をたもち、笑顔を見せず、嫌われ者たるを引き受けなければならぬ。”
ところが、厳しくしようと思う端から、愛情があふれ出てしまうのである。
賢治が小学校に上がる前、赤痢になった時、隔離病棟で寝ずの看病をしたのは母のイチではなく、父の政次郎だった。
さすがにそのようなことをする父親は、当時皆無である。
でも、江戸時代の庶民の家では、職住近接で共働きが当たり前なので、割と父親も子どもの面倒を見ていたと聞いたことがある。
明治初期に来日したイザベラ・バードも、日本人男性ほどよく子どもの面倒を見る人たちはいないのではないかと驚いていた。
だから、政次郎は明治という新時代の父親(本文より)というよりも、時代遅れの男なのかもしれない。
政次郎は賢治のことをとてもよく見ている。
だから頭ごなしに怒るということがあまりない。
”子供のやることは、叱るより、不問に付す方が心の燃料が要る。”
とはいえ、鉱物のための標本箱を買ってくれと言われて、500箱も買うのは親ばかじゃないか?
そんな調子で賢治は亡くなる数年前まで親にお金を出してもらうことを当たり前だと思っていた節がある。
地道にコツコツよりも一気に大きな話に夢を見るのである。
当然全額親に出資してもらうつもりで。
けれども、妹トシはそんな兄の長所も短所もわきまえたうえで、兄の応援をする。
幼い頃から仲の良かった兄妹。
ふらふらしている賢治よりよほどしっかりして、頭もよく、気働きのできるトシを「男だったら」と残念に思う政次郎。
トシの死は、手放しで嘆くことができない分、賢治よりも政次郎の方が辛かったかもしれない。
賢治が倒れたとき、そばで看病したのは政次郎だった。
世間的な成功を収めることはできなかったが、賢治はやっぱり政次郎にとって大切ないとし子なのである。
政次郎の信仰する浄土真宗と賢治の信仰する日蓮宗との対立。
学問が許されなかった政次郎の、進学をしても結果を出すことのできなかった賢治へのもどかしさ。
どこを取っても読みごたえのある作品でした。
読んでいるとき、iPodからの音楽が一切聞こえていませんでした。
そのくらい夢中で読める本。


