あらすじ・解説
健史(妻夫木聡)の親類であった、タキ(倍賞千恵子)が残した大学ノート。それは晩年の彼女がつづっていた自叙伝であった。昭和11年、田舎から出てきた若き日のタキ(黒木華)は、東京の外れに赤い三角屋根の小さくてモダンな屋敷を構える平井家のお手伝いさんとして働く。そこには、主人である雅樹(片岡孝太郎)と美しい年下の妻・時子(松たか子)、二人の間に生まれた男の子が暮らしていた。穏やかな彼らの生活を見つめていたタキだが、板倉(吉岡秀隆)という青年に時子の心が揺れていることに気付く。
解説: 第143回直木賞を受賞した中島京子の小説を、名匠・山田洋次が実写化したラブストーリー。とある屋敷でお手伝いさんだった親類が残した大学ノートを手にした青年が、そこにつづられていた恋愛模様とその裏に秘められた意外な真実を知る姿をハートウオーミングかつノスタルジックに描き出す。松たか子、黒木華、吉岡秀隆、妻夫木聡、倍賞千恵子ら、実力派やベテランが結集。昭和モダンの建築様式を徹底再現した、舞台となる「小さいおうち」のセットにも目を見張る。
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一度テレビで放送されたのを見ていたのですが、原作の小説を読んだらどうしてももう一度観たくなってアマプラで鑑賞しました。
小説のイメージが残っているうちに。
で、まあまあ辛口なことを書いてしまいそうです。
実はテレビで見たときの印象があまり強くないのです。
山田洋次らしい作品だな、くらいで。
あまり多くの山田作品を見たとはいえませんが、『母と暮らせば』以外の山田作品は、私には合いませんでした。
過剰にセンチメンタルな気がして。
代表作の寅さんを見ていないので、そんなこと言う資格はないんですけどね。
戦争、庶民のささやかな暮らしと幸せ、悲劇。
想像できる範囲内のできごとが、これでもかと詳細に描写されて、却って「陳腐だな」と思ってしまうのです。
天邪鬼なもので。
小説のほうは、文章で書かれていない事柄にタキの思いが込められていて、すごく沁みたのです。
映画と小説は表現方法が違うのだから、ある程度設定を変えてもいいと思っています。
いちいち「ここ、原作と違う!」と目くじらを立てる必要はないと。
ただ、世界観さえ変わっていなければ。
やっぱり山田洋次は合わないな、と改めて思った作品でした。
映画の感想としてはここまで。
この先はネタバレになります。
『小さいおうち』には大きく3つの秘密があります。
そのうちの一つは、主人夫婦には多分男女の関係がないであろうということ(タキの想像ですが、多分事実)
一回り年上の夫のところに、前夫との間の子どもを連れて再婚した時子奥様。
頼りがいがあって、贅沢させてくれて、甘やかしてくれる。
親子のような夫婦。
もう一つは、奥様と板倉との恋愛。
家族を大切に思っているからこそ、仕事第一の夫に対して、若くて(時子より年下)芸術という共通の話題に事欠かない板倉との逢瀬は、久しぶりに華やいだ気持ちになれる大切なもの、と時子は思ったのではないでしょうか。
街中を夫婦でもない男女が並んで歩くだけでも人目にとまる、という事すら気づかない世間知らずの二人。
映画での、下に大家さんやお客さんがいるのに「お茶は要りません」なんていう無神経とは全く別物と私は思います。
だからこそタキは危ぶんだのだと思います。
純粋で世間知らずの二人を。奥様を。
最後の秘密はタキの思い。
時子奥様は、タキが生まれて初めて見た綺麗で華やかで決して汚してはいけない存在だったのではないでしょうか。
それを映画は全く削除してしまい、原作では奥様に対する恋心のように表現されていますが、私はマリア様信仰のように崇めながら守り抜くというように思えました。
映画ではタキは板倉のことを好きなように見えますが、小説でははっきりと奥様に対して敬慕の念を貫いています。
もしかしたら少しは板倉のことも気になっていたのかもしれませんが、奥様が楽しそうに過ごす相手としての板倉を尊重しているようにも思えます。
あくまでもタキにとっての№1は時子(と、その息子)です。
だから、奥様が世間から後ろ指をさされないようにタキは気を遣うのです。
自分の気持は後回しです。
というか、タキは自分の気持に気づいていないと思われます。
ただタキが書いた自伝の行間から感じ取れるだけです。
映画では田舎に戻ったタキの様子はほとんど描かれていませんが、小説ではずっと時子の心配をしているタキの様子が描かれています。
奥様からの餞別を取り出しては楽しかった日々を思い出し、早く東京に戻りたいとばかり念じているのです。
そんなタキだからこそ、時子から板倉への手紙を最後まで大切に隠し持っていたのでしょう。
タキが板倉のところへ手紙を届けたのか届けなかったのかは小説でも映画でも明示されていません。
だから私の妄想ですが、タキは板倉のところへ行って、手紙の趣旨を説明したうえで「来ないでくれ」と頼んだのではないでしょうか。
板倉がほんとうに時子のことを思うのなら、このまま戦地に行ってくれ、と。
そして板倉は承知したのだと思います。
「この手紙は受け取れない」と。
だからといってそれをそのまま時子に返すこともできず。
「板倉さんは来ません」と言ったのか、何も言わず結局来なかったていを通したのか。
時子もわかったのでしょう、この件にタキが関わっていることを。
だからこの後二人の間は少し険悪になったようです。(タキの自伝より)
それでも、誰になんと思われても、タキは時子を守りたかった。
時子もそれはわかっていた。
それが東京大空襲後にタキが東京に行き、最後に二人で会った時の和解に繋がったのだと思います。
そしてそれが、まさかそのあとの空襲で…!って構成上の上手さにしてやられるわけですが。
その後の人生をタキは「長く生きすぎた」と泣いて暮らしているのではなく、その時々を一生懸命生き、仕事を全うしたと思います。
ただ、自伝に書かれた多分唯一のウソ、板倉が来て奥様や坊ちゃまと楽しく過ごして帰って行った、というのは、タキが奥様にしてあげられる唯一の幸せな日常の風景だったのでしょう。
戦争がなければ、世間の目がなければ、そういう時間を奥様にプレゼントしたいと一番思っていたのはタキだったのだと思うのです。
日本アカデミー賞で黒木華が助演女優賞というので「え?」って思ったんですよね。
タキが主役じゃないの?って。
でも、視点を変えたり設定を変えても、いい作品はいいのだから、ま、いいかと思ったんですよ。
だけど、時子と板倉がただの不倫で、タキが好きなのは板倉のような描かれ方をされたら、ただのやっかみで手紙を届けず、一生後悔して生きるタキちゃんになってしまうじゃないですか。
それは違うよ。
そんな薄っぺらい話じゃないんだよ。
と、小説の印象が強いうちに映画を観たらこんな感想に。
山田洋次の映画で描写が詳細過ぎると文句を言いながらのこの長文。
だけどすっきりしました。
デトックス映画鑑賞。
次はいつできるかな。