Amazomより
『逆説の思想、飽くなき批判精神の射程。人間と社会における不変の真理とは何か。“現実”を見つめ直すとき、時代を超えて読み継がれてきた不朽の名著。』
ここ数日苦戦していた本です。
まず、なんの正統について書いている本なのか。
それはキリスト教です。
薄々わかっていたけどね。
ブラウン神父シリーズの作者だから。
でも、だから、硬質な文体の中に見え隠れする仄かなユーモア、みたいなものを期待していたのですが、そんなものは一切ありませんでした。
最初から最後までガチガチのガチ。
で、文字を目で追っていっても全然内容が入ってきません。
”気のふれる危険は論理にあって想像にはないというだけだ。”
一般的に気のふれた人は非論理的であるとみられがちだけど、彼らは彼らの中では理屈が通っている。
しかし、論理だけに重きを置く人が、論理だけでは語れないものに出会った時(神や奇蹟等)、正気を保っていられない危険がある、と。
”狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆるものを失った人である。”
なるほど。
この辺までは何とかついていけたけど…。
”夜明けには、ストア派の賢者のように、清冽な清水に身を洗っても、日暮れには、背教者ユリアヌスのように、熱い牡牛の血潮に身を浸す仕儀となる。”
”マルクス・アウレリウスやその一派は、宇宙にはいかなる神も存在しないという結論に達していた。ただ内なる神しか彼らの眼中にはなかったのである。”
背教者ユリアヌスは、キリスト教だけに与えられた優遇制度を撤廃した人で、別段キリスト教を迫害したわけではないんですけどね。
とにかくキリスト教唯一主義と言っていい論調にシフトしてから、だんだん読みにくくなってくる。
少し長いけど引用します。
”獅子が子羊の傍らに身を横たえる時、獅子は子羊のごとく温和になるという。けれどもこれでは、子羊が強引に獅子を併合するという、いわば子羊の帝国主義を標榜した予言になってしまうだろう。獅子が子羊を食うかわりに、子羊が獅子を併呑したにすぎなくなる。”
ここまではわかる。
”問題はこういうことなのだ。つまり、獅子は子羊の傍らに身を横たえながら、しかもなお百獣の王としての獰猛さを失わずにいられるか――これが問題だ。これこそ教会が解こうとした問題であり、これこそ教会が成し遂げた奇蹟なのである。”
どゆこと?
木村裕一の『あらしのよるに』シリーズを思い出しましたが、教会が成し遂げた奇蹟?
”今まで主張してきたところを要約すれば、結局三つの命題に帰着する。第一、この世の生活を信じなければ、この世の生活を改善することさえ不可能であること。第二、あるがままの世界に何らかの不満がなければ、満足すること自体さえありえぬということ。第三、この不可欠なる満足と不可欠なる不満を持つためには、単なるストア派の中庸だけでは足りぬこと――以上である。”
要約されても第一、第二と第三の間にある論理の展開がわからない。
今朝からずっと読んできたけど、頭グルグル。
次の本を読みだすまでに、少し時間を要するかも。


