毎月のように病院にかかっていたというから、多分一番お金がかかったのは医療費。
だけどそれを抜きにすると、やっぱり本代だと思います。
わたし的にはもっともっと本をほしいところでしたが、うちは貧乏だったから、そうそう本を買ってもらうことはできませんでした。
だけど時々何かのはずみでドカンと買って貰えたのです。
幼稚園の時は童話全集。
最初は月に一冊ずつ父が買ってきてくれたのですが、途中でめんどうくさくなったのか、ある時段ボール箱でいっぺんに残りが届きました。
ちょうどおたふくかぜで休んでいた時だったので、めちゃくちゃテンション上がって、ずっと休んでいたいくらいでしたが、さすがにそれはかないませんでした。笑
小学生の時は子ども向けの全集を、入院するたびに一冊ずつ。
「アンクル・トムの小屋」とか「ああ無情」とか、時間かかりそうな本を選んだと思われる。
それから小学校の高学年の時に百科事典を一式。
好きな部分だけなんどもなんども読んだけど、全部を読み通すことはさすがにできませんでした。
中学校に上がるとき、当時文庫本というものを知らなかった(よく考えたらPTA文庫で借りて知ってたはずだけど)ので、魯迅の「阿Q正伝」を読みたいというだけで、親を拝み倒して世界文学全集を買ってもらいましたが、そうしたら日本文学全集まで買ってくれて、「いらんことを…」と当時は思ったものですが、今はありがたいですねえ。
なかなか手に入りにくくなりましたからね、近代日本の文学は。
家のローンの外に百科事典のローンもあったと思うのですが、当時はそこまで考えられなくて、親には大変な思いをさせてしまいました。
だから食事が貧弱だったことも、親戚からのお年玉を親に吸い上げられていたことも、自業自得といえるかもしれません。
大人になって一番自分にかけたお金もまた、本代。
本がこの世になかったら、私結構お金持ちになっていたかもしれないけれど、人生それほど楽しくはなかったかもしれないな。
本が好きでよかった。
本日の読書:二百十番館にようこそ 加納朋子
Amazomより
『ネトゲ廃人で自宅警備員の俺は、親に追放されるように離島での暮らしを始める。金銭面の不安解消のためにニート仲間を集めてシェアハウスを営むうちに、ゲームの中だけにあった俺の人生は、少しずつ広がってゆき…。青い海と空のもと始まる、人生の夏休み!』
主人公は、ごく普通に高校、大学に進学し、ごく普通に就職する…はずだったのだが、ことごとく不採用の通知を受けるうちに、新卒という最強のカードを失い、家に引きこもったままゲーム三昧の日々を送っているアラサー男。
これではまずい、と自分でもわかっている。
だけど、当たり前のように就職できると思っていた自分の何が悪くて現在の状態に陥ったのかがわからない。
これではまずい、と自分でもわかっている。
でも両親は元気に共働きだし、家は持ち家だし、たとえ両親が亡くなっても貯金やら何やらで自分一人くらいは何とか食べていけるのではないか、とも思っている。
そんなとき、あったこともない母の兄が亡くなり、遺産として南の島にある館を贈られた。
手続きのため弁護士とともにその島に赴くと、島の住民17人中60歳以下はひとりという、超限界集落のうえ、館とは使われなくなって久しい研修施設だった。
家に戻ったら売却手続きでも取ろうと思っていたら、実家から彼の荷物がどさどさ届く。
どういうことかと電話しようにも、両親はスマホの番号を変えていた。
弁護士に聞くと、両親は既に引っ越し、行き先は教えないよう言われていると言う。
親に捨てられた!
それも、こんな何もないところに!
しかもこの負の遺産である館を維持していかなくてはならない!
ここから主人公がどうにか生きる力をつけていく話なのですが、この主人公、本当に普通の子なんですよね。
ほどほどの努力で今まで挫折なしに生きてきたから、就活で完全に心が折れてしまう。
みんなが当たり前にできている就職が自分にはできない。
自分は無能。
自分には存在価値なんかない。
だけど、ネットゲームの中では頼れる奴として評価されている。
だからゲームをやめられない。
どこにでもいる当たり前の子が陥る、自己否定の落とし穴。
だけど、やり直すことはできるんだよ、前に進むことはできるんだよ。
自分らしくあるままで。
ということを、ここ最近の加納作品は書き続けているように思う。
自身の闘病経験もあるからなのかな、生きていればどこからでもやり直していいんだよ、と言っているように思える。
ひとりで維持できない館ならシェアハウスにしよう。
自分みたいに世間から外れてひっそりと生きている人たちと。
ってことで『二百十(ニート)番館』となるのであるが、主人公はやり直すつもりではなく、あくまでも現像維持を望んでいるのである。
けれど、自分の食い扶持を自分で何とかするということは、結果的に社会の中に入っていくことになる。
ごくごく自然に、自分たちのペースで社会になじんでいく彼らの基本的なコミュニケーションはやっぱりネットゲームで、それもまた現代的で良いなあ。
ライトオタクの彼らの会話の中には、とても自然にアニメやゲームの小ネタが挟み込まれていて、それを見つけてはにやにやしてしまう私もまたライトオタクなのかも。
そしてポイントは、親は子どもを捨ててなんかいないということ。
連絡を絶つ、世話をしないというのは、ある意味親にとっても辛い選択なのだ。
それを理解した時、初めて人は大人になったと言えるのではないだろうか。
