今日は半年に一度の婦人科の受診日でした。

 

3年前に乳がんを患って、それ以来飲んでいる薬の副作用として子宮がんのリスクが高まるので、半年ずつずらして子宮頸がんと子宮体がんの検査を年一で受けているのです。

ところが今日、先生に言われました。

「毎年検査って多くないですか?今日はどうします?」

 

え?

薬の副作用があるかもしれないからって、頸がんと体がんを半年ずつずらして検査していたと思うのですが…?

「じゃあ今日は頸がんの検査をしましょう」

 

そ、それって、私の一言で決まることなのでしょうか?

本当なら私だって検査したくないよ。

あの椅子に座るだけで心拍数が爆上がりするもの。

 

だけど、現在もう一つの副作用である骨粗しょう症になってしまったわけで、そうすると検査しないという選択はちょっと怖いよね。

今の薬を続けている間は年一で検査しなくちゃだよね。

先生、そういう事でいいんだよね?

これって、私の希望で余計なことしてるわけじゃないよね?

 

 

 

 

本日の読書:北斎になりすました女 葛飾応為伝 檀乃歩也

 

Amazonより

『表の顔が北斎なら裏の顔は応為。父娘は二人で一つの顔を持っていた。天才の陰に隠れた、もう一人の天才。本所、小布施、長崎、オランダ…消えた女絵師の“幻の絵”を追う、美術ノンフィクション。』

 

「なりすました」って、随分強い言葉だと思うのですが、この本を読み終わった時には納得でした。

 

天才葛飾北斎の娘として、ずっと父の背中を見て絵と向き合ってきた応為こと栄。

炊事洗濯掃除が嫌いで、一度結婚したもののすぐに離縁され、その後ずっと父の仕事を手伝って暮らす。

 

一般的なイメージとして北斎は天才と思うのですが、実は北斎、めっちゃ勉強家。

若かりし頃、勝川春章に弟子入りしているにもかかわらず、こっそりとほかの流派にも弟子入りして絵を学び、結局師匠にばれて破門され、一匹狼の絵師としてやっていくことになる。

でもって、生涯絵の勉強を続けていたというのだから頭が下がる。

もちろん西洋画だって独学で勉強した。

 

でも、ダイナミックな構図と迷いのない描線は、やっぱり天性のものなのだろう。

父が反故にした紙を見ながら応為もまた独学で絵をものにした。

 

そしていつしか父親の片腕として、作画を手伝うことになる。

北斎自身が、女性画は応為にかなわないと認めるほどの腕前。

ではなぜ、彼女は父親の黒子に甘んじていたのか。

それは、北斎の名前で絵を描いたほうが高く売れるからだと、著者は語る。

また、時代的にも女性絵師が社会的に評価されていたとはいえなかったから余計だろう。

 

北斎として絵を描くことを自ら選び、父にも認められた応為。

彼女の書いた絵が何枚も紹介されているが、ぱっと見日本画とは思えないのです。

光と影のコントラストで、奥行きがあり、空間の力が強い。

 

朝井まかての『眩(くらら)』の表紙に葛飾応為の絵が使われていますので、見てみてください。

西洋人が描いた日本の風俗のように見えます。

 

指先の細やかさ、着物の柄の歪み、ほつれ毛等、女性なら出の細やかさでは北斎を圧倒する応為。

だからこそ、北斎の名で書かれた作品の中にある応為の作品が、後世次々に明らかになったのだ。

 

けれど、浮世絵としてのオリジナルを書く才能はやはり足りなかったとみえる。

北斎漫画を手本にして、父の作品をより良いものにしあげる腕は充分にあったのに。

 

大き過ぎる父親を持つ苦労はあったろうが、画家として満足のいく生涯だったのではないだろうか。

絵を描くことだけが幸せだった父子。

そういう生き方に圧倒された。