海の生き物って一口で言っても、結構危険生物がいるから、さわっちゃった奴で考えるとクラゲ。
新潟の海水浴場で子どもたちを遊ばせているときに、ビニール袋が浮かんでいた。
ごみを片付けるつもりでその袋にさわると「痛い!」
お盆過ぎではなかったのに(朝にお盆の真っ只中)クラゲが出るなんて、約束が違うやないかい!
ちょっと腫れただけですんでよかった、よかった。
それよりも、ぜいごを取ろうとしてアジを抑えていた手が滑って、背びれが刺さった時の方が大変だった。
みるみる親指の付け根が腫れて、熱が出た。
すぐに水で傷口を洗ったけど、あんまり血が出なかったのが敗因みたい。
カサゴじゃなくてアジにやられるって結構ショック。
でも美味しいからやっぱりアジ買って捌きますけどね。
カバー裏より
『成都に迫る魏軍に、蜀の群臣は揺れる。一戦もせずに降伏を決意した劉禅は、棺を背負い、魏の軍門まで歩く。この日をもって、三国時代は畢(お)わった。その翌年、司馬昭(しばしょう)は晋王の位を授かる。天下統一はまだ果されないが、もうすぐその時が来る――正史に基づき、百五十年もの歴史を描いたかつてない三国志、最終巻。』
遂に終わってしまった。
三国時代って、中国の長い長い歴史の中で一瞬のように短い。
蜀は二代、魏は五代、呉は四代しか続かず、その国の終焉はどれも自滅と言っていいようなもの。
才ある者の枯渇、権力者の専横、など。
滅ぶべくしてほろんだ王朝ではあるけれど、建国前から読んでいた身にすると、先人たちの苦労や偉業をふみにじるような愚かな後継者たちに忸怩たる思いがぬぐえない。
それにしても今まで読んできた三国志となんと違う事よ。
曹操の祖父の時代から書きはじめられたのは、幕末を描こうとして関ヶ原から描き始めたみなもと太郎にも通じるけれど、わかりやすくはあるけれど情報量が多すぎて、思考も行きつ戻りつしながらこの作品を咀嚼した。
桃園の誓いもなければ、赤壁の戦いにおける劉備軍の活躍もない。
そもそもこの十二巻の作品中、多分蜀の記述が一番少ない。
史実に残されるような出来事があまりなかったのだろう。(三国志を編纂したのは晋の時代)
だから、フィクションにする余地が多かったのだな、きっと。
そして、これは中国に甚だしい特徴だと思うのだけど、誰かが出世すると一族みんなが優遇される。
これは儒教的なことなのかな。
そして、だれかが罪に問われると一族全員が族滅させられる。
だから権力闘争が命がけなのだ。
そして儒教的感覚では、上に立つものの指示に従うのが是であり、過ちを正すのは否らしい。
時代の違い、文化の違いを超えて、人の思いや行為って通じるものがあるんだなあと巻を通してしみじみ思う。
ああ、面白かった。
次はだれの三国志を読もうかな。

