今朝は3時過ぎに目が覚めてしまい、Hey!Say!JUMPのMV及びメイキングを3曲分見ることができました。
CDを聴くのは、また明日以降に。
10さんが映画を観に行くというので、私は今日図書館に返す本をまず読み終えて、感想を書いて、読みたい本リストから読んだ本を削除することにしました。
ところがそれが終わった時は既に雨が降り始めていたので、図書館は午後に行くことに。
それまでの時間で、やるべきことはまだたくさんあります。
まずLINEポコポコをやり(まずそれ?)、ピクミンにエキスをやり、最近平日にはなかなかできなくなったブログ巡りをし、10さんの通信教育の教科書を読み終え…たところで10さんから電話。
「今地下鉄の駅にいるんだけど、雨がひどいんだよね」
わかりました。迎えに行きましょう。
10さんのコウモリ傘をもって、駅まで迎えに行きました。
ついでに居酒屋さんがランチで出しているラーメンを食べてきました。
ホタテときのこの塩そばとババガレイ丼のセット。
私はカレイといえば宗八ガレイの干したのが一番好きなのですが、このババガレイの縁側ときたら肉厚で絶品でした。
本日の読書:図書館の子 佐々木譲
Amazonより
『1937年の東京。隅田川で拾われた男が病院に運ばれてくる。身元不明の男は記憶を失っていたが、なぜかこれからやってくる戦禍の時代を知っているかのようだった。「遭難者」。とある北の国。猛吹雪の夜、図書館に一人の少年が取り残された。暖房もない極寒の館内。そこに突然現れた謎の男は少年を救い、やがて大切なことを伝え始めた―。「図書館の子」。時とたたかい、時に翻弄される者たちを描く全六編。』目次
・遭難者
・地下廃駅
・図書館の子
・錬金術師の卵
・追奏ホテル
・傷心列車
タイムトラベルものの短篇が6作品。
私の一番好きなSFのテーマは時間もの。
なのでものすごく期待して読んだのですが、読んだ後の感想としては「何が書きたかったの?」ってことです。
本人の意志で、または偶然の成り行きで過去に戻ったり未来に送られたり。
でもそれは、書きたかったことではないはず。
そうなった時に、誰が何をするか、何を思うのか。
それを読むことによって読者は衝撃を受けたり感動を得たりするわけですが、そのどれもが、ありませんでした。
「図書館の子」はロシア革命(?)の時代、「錬金術師の卵」はメディチ家勃興前のイタリアから割と最近の日本が舞台として、それ以外は第二次大戦前後の日本が舞台になっています。
ここの作品は特に繋がっているわけではないのに、なぜ似たような時代背景の作品なのか。
どの作品も、結末についての解釈は読者にゆだねられています。
だからなのか、その時代である必然性が感じられず、却って息苦しい読後感になってしまっています。
もしその時代である必要があったのなら、そのように話の結末をつくらなければならなかったのではないでしょうか。
自由に読めてしまえるがために、広く薄い世界観のように感じました。
この時代を書きたかったのなら、SFではなく、きちんとその時代を舞台にした小説にすべきだと思います。
佐々木譲の作品をそれほど多くは読んではいませんが、その方がこの作家には向いているような気がしました。

