毎日職場のセイコーマートでお昼ご飯を買っていますが、それ以外はとんとコンビニに行かなくなりました。

なので久しぶりにセブンに行って、コンビニエンスって何だろうと思ってしまいました。

 

レジ袋が有料化する前からエコバッグを持って歩いていたので、それはいいのです。

セイコーマートでは今でも無料でレジ袋をくれますが、それももらわずにエコバッグに入れて帰ってきます。

レジ袋をもらうと、店員さんが詰めてくれるんですけどね。

それでもお金を支払って、レシートやお釣りをもらう間にササッとエコバッグに商品を入れます。

 

だけど最近のセブンはセルフレジなのよ。

家の近所のスーパーのセルフレジは店員さんがバーコードをピッとやってくれて、指定されたレジに移動して自分でお金を払い、自分でエコバッグに詰めます。

ニトリやユニクロでは、自分でバーコードをピッとやって、袋に詰めます。

セルフレジのすべてが悪いと言っているわけではないのです。

 

でも、セブンは友人レジを選ぶことができない。

そして、店員さんはバーコードをピッとやるだけで、客が支払い用にレジのボタンを押し、支払い方法を選択し、お金なりカードなりを出し、おつりなりレシートを受け取りつつ、商品をエコバッグに入れなければなりません。

めっちゃ忙しい。

で、店員さんはそんな私をただ見ているだけで何もせず立っているだけ。

 

これがサービス業のすることですか?

 

ゆくゆくはロボットが商品を陳列し、客がセルフで支払いをするため店員が不要になるのでしょうが、今はちょっと店員さんが突っ立っているのを見るのがちょっと不快。

店員さんが悪いわけではないことはわかっています。

でも、この気持ちをどこにぶつけたらいいの?

 

ぶつけたくないので、もうセブンには行かないことにします。

 

 

 

本日の読書:武漢封城(ロックダウン)日記 郭晶

 

Amazonより

『2020年1月23日、1100万の大都市が突如封鎖された―!!そこではいったい何が起きていたのか!?29歳の女性ソーシャルワーカーが綴った封鎖下の都市の真実の記録!』

 

2020年1月23日から4月8日まで封鎖された武漢で暮らしていた女性が書いた日記です。

3月1日までで、突然(未完)の文字とともに終了してしまったので、何かあったのかとびっくりしましたが、現在も彼女は元気です。

 

ある日突然町が封鎖されます。

ロックダウンを行わなかった日本ですら、外出自粛で家の中に閉じ込められてしまったわけですから、町が封鎖ってどういう事だろうと思ったら、「なるべく外出を控えるように」とは言われますが、最初の頃は自由に外出できたようです。

家に閉じこもっていても気が滅入るだけなので、著者はなるべく外に出るようにします。

 

社会とつながること。

自分ができることは何かと考えること。

 

そのために彼女は外に出て何人もの清掃作業員の人たちに、生活の様子や仕事について(社会保険の有無や、マスクなどの支給について)を尋ねます。

そして、知りえたこと、考えたことを日記に書いてネットにアップします。

 

”ロックダウンによって時間と空間が静止したが、情感と情緒は拡大した。”

 

いつまで閉じこもっていなければならないのか。

食べ物や日用品が足りなくなったらどうしたらいいのか。

 

”このウイルスが蔓延する中では、心を寄せなければならない人はとりわけ多く、多くの人が具体的な説明を必要とし、治療を受けられずに亡くなった人も数多くいます。私は生きている、そう思うだけで強い後ろめたさを感じます。”

 

人間は社会的な動物だから、一人で孤立するのはとてもつらいことです。

彼女は毎日友人たちとビデオチャットで話をしました。

また、日記に寄せられるメッセージにも心を支えられたようです。

 

同じ時代、同じ災害を、違う国ではどう対処していたのか。

もちろん彼女が武漢の代表者ではありませんし、平均値でもありませんが、それでも読んでみることに価値はあったと思います。

 

 

コロナとは無関係に気になった記述が2か所。

 

”集団主義は情緒に訴える強い感染力があり、嫌悪を生み出し、甚だしい恨みを生む。例えば中国人が日本人を嫌うように。”

世界に発信している文章でさらっと書かれていることにショックでした。

 

”社会は、女性に自立ではなく、関係をより重視するように励ますべきだ、と言う人。女子高校生の時、お手洗いに他の人と一緒に行くのは、献身を通して相手の承認を得て、相互の関係を維持していくことを望んているだけだと言う。”

中国の女子高生も、お誘いあわせの上トイレに行くのかと思った次第。

私はそれが嫌いで一人でトイレに行ったので、クラスで浮いてしまった高校一年生の頃を思い出す。