忍耐を意味するラベンダーストレス発散法を教えて

 

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本を読んでストレスを発散しています。

が、我が家最寄りの病院の先生は「読書でストレスは発散できません。ストレス発散するために運動をしなさい」というのです。

そりゃあ運動でストレスを発散できる人もいるでしょう。

でも、私は運動をすること自体がストレスになるタイプ。

「無理です」と言っても、「運動しろ」の一点張り。

「じゃあ、ウォーキングします」と言うと、「歩いたって運動にならないから、走りなさい」と言います。

先生とのこのやりとりがめっちゃストレスなんですけど…。

 

明日は朝3時出発の、帰宅時間不明。

頑張って謎を解いてくるわ。

 

 

本日の読書:三国志 第五巻 宮城谷昌光

 

 

カバー裏より
『曹操はついに立った。天子を奉じることを決断、七年前に脱出した洛陽へと向かう。時代は、攅峰(さんぽう)を均(なら)すという作業をはじめた。ひときわ高い山だけが残る。たれに帰服すればよいか――志のあるものは、高山の麓に集まりつつある。呂布、公孫瓚、袁術らが舞台から姿を消し、いよいよ曹操と袁紹は天下分け目の「官渡の戦い」へ。』

いよいよ曹操の時代となっていきますが、曹操が周囲を従えてぐいぐい前に出ていくわけではありません。
彼は実によく周囲の意見をよく聞くのです。
そして人を見る目があります。
敵の将を捕虜としても、有能な人材であれば官職を与えて仕事を任せます。

曹操の瑕疵は2つ。
出身が宦官の家であること。
当時の有力者の中で曹操を忌避する人の理由は、これが一番多いように思います。
そうそう自身は宦官ではありませんし、仮にそうだったとしても、曹操が私腹を肥やすことはないでしょう。
ただ、感覚的に宦官は嫌、と思われていたのです。

もう一つは、そうです、父の仇を討つために、徐州で大虐殺を行ってしまったこと。
庶民はこちらに拒否反応を覚えたようです。
テレビも新聞もない時代、どこまで情報が広まっていたのかはわかりませんが。

これを除くと、勉強を怠らず、情報の大切さを知り、嫡男を亡くしたため別れることになった奥さんにも生涯礼を尽くし、軍律厳しく…ちょっといいところしか見つかりません。

対する袁紹
”生まれながらに人を使う立場にいる人は、学問の力を必要としない。学問の力とは、けっきょく人を知る力である。それが袁紹にはない。”

”強大な武力をもって世論を弾圧しても、その世論は伏流水のごとく地下で路をつくり、やがて合流し、岩をも動かし、山をも崩す力をあらわす。それほど世論には力がある。袁紹と劉表にはそういう意識が欠如しており、特に袁紹は軍事の成功で世論を動かすことができると誤解している。”

官渡の戦いで大敗を喫したことから、みるみる人材が離れていってしまった袁紹。
というか、聞きたい意見以外は聞く耳を持たないという姿勢が、自ら人材を遠ざけることになってしまったわけですが、最終的には病死です。
心身ともにダメージが大きかったのかもしれません。

劉備は戦に負けそうになると逃げ、頼った先を裏切っては逃げ、未だ大した業績を上げてはいません。
とにかく妻子も配下も捨てて、身一つで逃げてしまうので、ついに関羽まで置いてきぼりにしてしまいます。
曹操は関羽を重用したいと思いますが、関羽は劉備に忠義を尽くします。

”これほどの傑人を棄てて逃げた劉備は、関羽に甘えているともいえる。(中略)最大にその器量を発揮することのできる職と場を与えることが、主としての愛である。”
劉備はどうも感情というか愛情が希薄な気がします。
喜怒哀楽の激しい中国の人にしては珍しいですが。

さて、若くして才能を現わした孫策の周りにも人材が集まってきます。
”団体や組織が活気を帯びると、まったく無関係であった外の異能をひきつけもするが、もともと内部にあった才能が急成長するということもある。”

しかし、若いがゆえに苛烈であったその戦いぶりのために敵も多く、一瞬の隙を突かれて孫策はその短い一生を終えます。

曹操が傍にいることによって帝は、そして後漢王朝はその命を繋いでいるのですが、帝自身は曹操のせいで窮屈な思いをしていると感じていたのでしょう。
曹操を殺せ、と密詔を出します。
同じように家臣のせいで窮屈な思いをしていた徳川慶喜は、それでも勝海舟を殺せ、とは言っていなかっただけ賢いのでしょう。
いや、もしかして言ってたのか…?