カバー裏より
『戦国末期、天下の傾奇者(かぶきもの)として知られる男がいた。派手な格好と異様な振る舞いで人を驚かすのを愉しむ男、名は前田慶次郎という。巨軀巨漢で、一度合戦になるや、朱色の長槍を振り回し、敵陣に一人斬り込んでいく剛毅ないくさ人であった。当代一流の風流人でもあった。そして何より、自由を愛しるさすらい人でもあった。故あって、妻子を置き旅に出た男の奔放苛烈な生き様を描く時代小説。』
ゲームか何かのキャラクターとしては知っていましたが、本人については何も知らずに読み始めました。
長身で長槍を振り回すと言えば前田利家。
同じ前田の血筋なのだろうとは思いましたが、まさかそこまでそりが合わないとは…。
これまでに読んできた前田利家は温厚で、篤実で、愛されキャラだったように思いますが、この作品においては器が小さくてで執念深くて、まつにすらちょっと軽んじられているところがあるくらいです。(まつは慶次郎が好きなのです。で、両想い!)
風流記というほど風流に傾いてはいませんが、漢籍を読み、歌や詩を作り、茶を嗜む慶次郎は確かにただの暴れん坊ではありません。
だからこそ、直江兼続とは莫逆の友として生涯友情をはぐくみ続けることもできたのでしょう。
何しろ兼続は兜の前立てに「愛」を描く人ですからね。
それにしても、秀吉の朝鮮出兵にあたり現地視察を命じられたりとか、家康の上杉攻めの際に味方を追いつめた最上義光の兵たちを、たった8人で追い散らしたりとか(味方の死者はゼロ)、マンガや小説のような出来事が実際に記録に残っているのですから、すごい人です。
目立ちたいから人目を引くような奇抜な格好をした形だけの傾奇者ではなく、したいからそうする。
人々の驚く顔を見て喜ぶ。
天衣無縫とはまさにこのことか、と思いましたが、いやちょっと待て、なんか新庄ビッグボスのような気もしてきたぞ。
編集者経験があると著者略歴を読んで知りましたが、だから小説っぽくないのかと腑に落ちました。
歴史小説の中では結構天の声として作者の主張が書かれることがありますが、この作品の天の声はそういうものとはちょっと違う気がします。
作品を俯瞰してみた場合、登場人物に語らせるには無理があるけれど大事な事項なのだから補足しておこうとでもいうような、作品との適度な距離を感じました。
それはもしかしたら小説家ではなく編集者の目だったのかもしれません。
作者が60歳をすぎてから作家デビューというのも驚きです。
「自分で自分に限界を作ってはいけない」ことの見本のような方ですね。