昨日いつもどおり、就寝前の定時連絡が父から来ました。
「そして、明日施設の見学に行くことになったから、時間作って」
え?今晩連絡来て明日?
「うん。明日の2時10分に迎えに来るって言ってたから、それまでに来て。お姉ちゃんちのそばの施設はもう埋まっちゃったって。だから早く決めないと」
急に来てって言われても難しいから、余裕をもって連絡くださいと言ったのは2日前。
で、今日の明日?
ていうかさ、判断力に自信のない年寄りにろくすっぽ時間を与えず、「時間がないので早く決めて」って追い込むの、振り込め詐欺の手口じゃん。
福祉ってそういうものか?
札幌はJRが全滅なので、今朝職場にテレワークの申請と、午後からの休暇申請をする。
で、弟は来ないということなので、10さんについてきてもらうことにする。
少しでも多くの目で見た方がいいと思うので。(私の目は詐欺ではないかという恐れで曇っている)
行ったのは実家から地下鉄ひと駅隣の施設。
メリットは、近いこと。
それから、グループホーム、高齢者共同住宅、デイサービスの事業を行っているので、横のつながりが強いところ。
デメリットは、建物が古い、ボロい。
部屋は6畳より一回り広いくらいだけど、壁の塗装がはがれていて、なんだか汚らしい。
そして広間のテレビの音がうるさい。
神経質な母はきっとダメなんじゃないかと思う。
それでも父が、週に一回は面会に行きたいという父が、ここでいいというのなら、試してみるのもありか、と思った。
グループホームに空きはないけど、共同住宅なら空きができたので大丈夫だと思う。
介護保険の範囲で、日常生活をサポートしてくれるヘルパーさんをお願いすることと、週3回くらいのデイサービスは可能と言われた。
デイサービスの施設には、日中には2人の看護師さんが常駐しているというのも安心材料。
説明を受け、帰り道「どうだった?」と父に聞くと、相変わらずいいとも悪いとも判断しないでのらりくらりとはぐらかす。
もう一か所見学する予定だったのが、コロナの陽性者が出たということで、今回見学させてもらえなかった。
そこを見たい、というのならわかるけど、まだいろいろ見てみればいいじゃないなどと他人事のように言う。
そのたびに私は休暇を取らねばならないのですか?
弟はこれを無条件で免除されているのに?
私に頼るな!とは言わないけれど、同じくらい弟にも声かけてよ。と言うと、「そんなこと言うなら、もういい!俺一人で何とかする!」とキレる。
なんで私がダメなら一人で頑張るになるのかわからん。
それで脅しているつもりなのかわからないけど、できるものなら一人でやったら、と私もキレる。
これ、父を送る我が家の車の中での会話。
実家の前で父を降ろし、家に寄らずにさっさと帰る私。
こんなことするつもりじゃあないんだけど、決断はしない、文句は言う、弟は関わらせない、私のことはいいように振り回す。
毎回父と会った後はストレスがたまるのだ。
「今日は嫌な思いさせて悪かったね」
今晩の定時連絡での父の言葉。
「もう二度と会いたくない。勘当だ!」と言って欲しかったんだけどな。
本日の読書:黒塚 夢枕獏
カバー裏より
『十二世紀末。鎌倉に追われる九郎坊と大和坊は、奥州の山中で妖麗な女が独居する藁谷に一夜の宿を請う。黒蜜と名乗る女は奥の間を覗かぬことを条件に逗留を許す。十九世紀、奥州山中の荒屋(あばらや)に宿を請うた男は、生首となって生きる九郎坊を奥の間に見る。さらに時代は流れ……九郎坊は高層ビルから廃墟と化した都市を見下ろしていた。永遠の命を生きる異形の者の、時空を超えて展開する愛憎と闘い。』
能の演目『黒塚』を舞台化するにあたって書かれた小説。
いわゆる『安達ケ原の鬼婆』伝説をモチーフにしているのだけれど、大きく違うのは鬼婆ではなく美女だったってこと。
「見るな」と言われると見たくなるのが人情だけど、「見るな」というのが美女だとしたら、余計見たくなってしまう。
一体何が隠されているのか。
しかし九郎坊はえらかった。
「見るな」と言われたら見ない。我慢する。
ところが運命は、見ざるを得ないように九郎坊を導いていく。
何度も何度も。
九郎坊、大和坊の正体は、隠されていてもすぐにわかる。
鎌倉勢に追われているのだ。
しかしいつしか九郎坊と愛し合うようになったあばら家の美女・黒蜜は、九郎坊を救うために大きな決断を下す。
いくつもの時代、九郎坊と思しき男と黒蜜と思しき女は正体のわからない追手から逃げ続ける。
いつも九郎坊は記憶をなくしており、黒蜜と思しき女が介護をしながら敵と戦うのだが、いつしか九郎坊と黒蜜は離れ離れになってしまう。
記憶はないまま黒蜜を探す九郎坊。
なぜ彼には記憶がないのか。
なぜ黒蜜は姿を消したのか。
それだけの話なんですが、とにかく続きを読みたくて、真相を知りたくて、本を置くことができません。
先が読めないわけではないのです。
逆に高校生の頃に読んだSFのあれこれを思い出してしまって、テンションぶち上げです。
長いこと生きてると、こんな読書もありですね。