先週の金曜日に出勤して以来、ずっと今週はテレワークでした。

出勤していない間に、職場のトイレは使用可能となり(工事をしていたので、別の階のトイレに遠征していた)、カウンターに今更ながらの衝立ができてた。

 

本当は今朝も私が出勤する時間はまだ電車が動いてなかったのよ。

だけど今日行かないと、来週の月曜日は最初からテレワークシフトなので、一週間以上出勤しないことになります。

私はそれでもいいんだけどね~。

再任用ですべてテレワークっていうのが可能なら、私はそれでいいんだけどね~。

世間がそれでは許さないので、10さんに車で送ってもらうという力業で出勤したのさ。

 

ずっと家に引きこもっているのは望むところなんだけど、ピクミンやテクテクライフが進まないのが困りもの。

少しでも歩数を稼ごうと、ゴミ捨てに何度も通い、何度も郵便受けを覗きに行ったりしましたが、焼け石に水。

おつかいに行けないまま、苗が消滅していきました。

っていうか、もはや道端の苗しか拾えないので、テンションだだ下がりの今日この頃でしたが、期間限定の旧正月デコを狙っていたのです。

…あるかないうちに旧正月終了。チーン。

とりあえず赤と青はゲットした。

ただいま育て中の苗が黄色であることを祈るのみ。

 

明日は歩数稼ぎも兼ねて、娘とチーズホットクを買いに行こうと思っています。

やっぱり多少歩くと体の調子もいいよ。おすすめ。

 

 

 

本日の読書:先生はえらい 内田樹

 

 

Amazonより

『「先生はえらい」のです。たとえ何ひとつ教えてくれなくても。「えらい」と思いさえすれば学びの道はひらかれる。だれもが幸福になれる、常識やぶりの教育論。』

 

尊敬できるような先生に出会えないのは、先生が悪いのではなく、漫然とえらい先生の出現を待っている自分が悪いのだと内田センセイはおっしゃる。

それはまあ、そうかもしれない。

どんなに先生が素晴らしいことをおっしゃっても、聞く気のない人の耳にその言葉は届かない。

逆に先生が何の気なしに言ったことが、人生を変えることだってある(かもしれない)。

 

そもそも、万人向けの言葉の中に大切な言葉はない。

たった一人の自分のために言われた言葉だから価値があるのだ。

わかりやすくある必要はない。

この人の言う言葉がわかるのは自分だけだ!くらいの勘違いが、尊敬できる先生との出会いのきっかけになるのだそうだ。

 

恋愛しかり。

「わかりやすい=誰にでもわかる」よりも「自分にしかわからない良さ」が、ポイントなんだって。

 

”わからないけれど、何か心に響く。「たしかに、そうだ」と腑に落ちるのだけれど、どこがどう腑に落ちたのかをはっきりと言うことができない。

だから、繰り返し読む。

そういう文章が読者の中に強く深く浸透する文章なのです。”

 

この文章を読んだとき、なぜ村上春樹が人気あるのかわかった気がしました。

私はわからないうえに腑に落ちないから、村上春樹にハマれないんだということも。

 

ところで「反面教師」ってことば、中国の文化大革命の頃の用語なんですって。

「資本主義に毒された反革命的な先生」という意味だったそうです。

単純に「ああいう人になってはいけない」ような人ってことではないんですね。

勉強になりました。