カバー裏より
『「知り合いから妙なケモノをもらってね」籠の中で何かが身じろぎする気配がした。古道具店の主から風呂敷包みを託された青年が訪れた、奇妙な屋敷。彼はそこで魔に魅入られたのか(表題作)。通夜の後、男たちの酒宴が始まった。やがて先代より預かったという”家宝”を持った女が現れて(「水神」)。闇に蟠るもの、おまえの名は?底知れぬ謎を秘めた古都を舞台に描く、漆黒の作品集。』
目次
・きつねのはなし
・果実の中の龍
・魔
・水神
昨日のうちに読み終わることも可能だったけれど、夜に読むのはちょっとはばかられて、今日の読了となりました。
独立した短編のようであり、ゆるく繋がっているようでもあり、しかし明確な時系列というのもなく、テイストもそれぞれで…。
「きつね」面の男は出て来るが、狐そのものは出てこない。
あくまでも「魔」の「妖」の「物の怪」の話なのである。
表題作は怖かった。
不穏な気配だけは充分漂わせながら、最後まで正体がつかめない。
その正体を知っているのは、主人公のバイト先である古道具屋の主人・ナツメさんと、得体の知れない顧客・天城さんと、もう一人の顧客・須永さんだけだったろう。
天城さんが敵だとしたら、須永さんとナツメさんは主人公の味方に思える。
しかし言葉が足りない。
言葉足らずの説明不足の行き違いのせいでコナンくんは多くの事件を解決するはめになっているではないか。
ちゃんと会話をして、意志の疎通をはかれ!と思って読んでいたら、あれあれ?そういうことですの?
ね?怖いでしょう?
悪意すら欠落しているかのような感情の希薄。
そこには確かに、人ではない何かの存在が感じられた。
そういう意味では最後の「水神」もまた、人知を超えた存在の話。
何なら「きつねのはなし」とうっすらリンクしているのかもしれない終焉。
どの作品も、明確な結末というものはなく、「どういうこと?こういうこと?」と読後一人で問答してしまう。
「果実の中の龍」と「魔」は、人の中にある「魔」の話。
ホラーのような怖さではないが、やはりもやもやと怖い。
特に「果実の中の龍」は、重い。
人に語るべき何かを持たないと、ダメなのでしょうか。
周りの人に評価してもらえるよう自分を取り繕っているうちに、本当の自分がどこにもなくなってしまうような、そんな怖さ。
ひとつひとつは独立した話なのに、どういうわけか共通したモチーフが出てきてしまう怖さ。
それは誰がつくりあげた世界なのか。
仄暗いなかに強い意志を感じさせる、そんな存在があるというのか。
