この週末ずっと、憑りつかれたように動画を見ています。

かまいたちチャンネルは基本的に一日おきのアップなのでいいのですが、不特定多数の皆さんがアップする育児動画やルームツアーなどは見ても見てもきりがありません。

しかも、このジャンルが好きだということが運営(のAIに)バレたので、これでもか、これでもかと、興味深い動画を紹介してくる。

 

最近ドラマは全然見ていないので、その分を読書に充てようと思っていたのに、とんだ伏兵だぜ。

そのうえピクミンは育てなくちゃならないし、平日なかなかできないLINEポコポコもここぞとばかりにやらなくちゃならないし…。

なのに気がつけば、気がつかないふりをしても、動画見ている。

恐ろしいのぉ。

 

育児動画は、めっちゃ大変そうな親御さんたちを尻目に、のびのび笑ったり泣いたり怒ったりするお子さんたちの姿を見ていると、ストレスに凝り固まった心がほろほろとほどけていくような気がします。

もうずっと笑顔で見ていられる。

 

そして、ついうっかり一つを見てしまったら、どっぷり沼にハマることになった住宅系動画。

最近はやりの平屋の家をもっぱら見ています。

 

子どもの頃、家の掃除をやらされて一番嫌だったのが、階段の掃除機かけ。

下から順に上の段に掃除機をかけるのはまだいいのです。

(とはいっても当時重かった掃除機を持って階段を上るのも、結構嫌だったけど)

私は高所恐怖症なので、重い掃除機を片手に持って階段を下りながら、下の段に掃除機をかけるのが本当に嫌でした。

今はコードレス掃除機を使っているくせに、階段掃除のことを考えると気持ちがなえる。

 

老後、夫婦二人で暮らす平屋住宅というのが最近の流行りなのでしょう。

次から次へと紹介される動画を見ながら、「私だったらこうするのに!」なんて思いながら見てます。

多分ずっと眉間にしわを寄せているかもしれない。←なら見るなよ

 

一番気になるのは、素敵な庭に面したリビングなのに、ソファが壁側にあるテレビの方を見ていること。

庭を見ないということと、大型のソファを置いているのが気になる気になる。

私なら(出た!)、一人掛けの安楽椅子を置くな。

私は庭向き、テレビっ子の10さんはテレビ向きに置くかもしれないけれど、例えば満月の晩などは夜空がよく見える場所に椅子を動かして、ふたりで月を見ながら酒でも飲みたいものです。

 

それから家事動線が短いことと、パントリーがあること。

私も子育て中は家事動線に気をつかったし、大きなパントリーが欲しくてたまらなかったけれど、老後の住まいは逆に運動不足対策で家事動線が長いほうがいいのでは?と思っています。

時間に追われるわけではなし、長いと言っても数メートルあるかないかでしょ?

年を取ったら余計、歩こうよ。

その代わり家事動線が太いのがいいね。

ふたりで家事をするときにすれ違えるよう、どちらかが車いすになっても問題がない程度に。

 

パントリーもいらん。

雪国なので、多少の買い置きは必要ですが、基本的には毎日少しずつどこかに買い物に行くようにしたい。

実際10さんは雨の日も風の日も買い物に行っている。えらいぞ!

巨大パントリーなんかがあろうものなら、私だったらひと月くらい一歩も外に出ないなんてことも考えられるから、パントリーはいかん。

 

なーんて考えながら、無限に動画を見ていられる。

やばいなあ。

それにしても育児動画をあげている方、尊敬します。

どうやったら子どもたちと格闘しながら撮影し、あまつさえ編集までできちゃうのでしょう。

私だったらそんな時間があろうものなら、寝てたな。間違いなく。

子育て中の親御さんたち、尊敬してます。

 

 

本日の読書:きらきらひかる 江國香織

 

 

カバー裏より
『私たちは十日前に結婚した。しかし、私たちの結婚について説明するのは、おそろしくやっかいである――。笑子はアル中、睦月はホモで恋人あり。そんな二人は全てを許し合って結婚した、筈だったのだが……。セックスレスの奇妙な夫婦関係から浮かび上る誠実、友情、そして恋愛とは?傷つき傷つけられながらも、愛することを止められない全ての人々に贈る、純度100%の恋愛小説。』

大変評判のいい作品ですが、やっぱり私にはだめでした。

主人公の笑子は感情の起伏が激しくて、周りの人や物に当たり散らしたかと思うと、延々泣き続けたり。
例えば身近な人、家族や友人にこういう態度を取られたら、話を聞いたり慰めたりするけれど(にしても激しすぎるんだよな、この人)、読者として読み始めた私は、彼女に何の思い入れもないので、ただただ鬱陶しい。
自分の感情を持て余して苦しんでいることはわかるけど。

夫である睦月は、そんな笑子のすべてを受け入れて、許して赦す。
振り回されても、見捨てない。怒らない。

けれど、何をしても許すというのは、何をしても興味はない=どうでもいいということなのではないか?
笑子の不安はあそこにあるのではないか?

契約結婚のように結婚したのに、好きになったのは自分だけ。
それは苦しい。
だから子どもが親を試すように、どこまでやったら怒られるのか、どこまでなら見捨てられないのか、睦月を試す。
だってそれが、笑子の知っている愛情表現だから。…なの?

笑子がアル中だとはどこにも書かれていない。
精神異常ではないという診断書のみがある。
だけど、彼女の両親も睦月も、彼女を病院に連れて行こうとする気配がない。
こんなに感情の振れ幅が大きくて、彼女自身がそれに苦しんでいて、酒がやめられない。
なぜそれを治そうと周囲は動かないの?
彼女の苦しみの根本に何があるのか知ろうとしないの?
そこまで興味はないってこと?

最後は平穏な幕切れだったけど、これが一時的なものでないとは言い切れないと思う。
何も解決していないもの。

そして彼女が、睦月の恋人である紺から貰った木に、水の代わりに酒や紅茶をどぼどぼとそそぐのは、植物虐待ではないのかしら。
自分が苦しんでいる時、何をしても許されると思う人が私は苦手だ。
彼女が振りまいた毒が私のなかに沈殿していく息苦しさから解放されたとき、心から安堵したことを忘れないでおこう。