母のケアマネさんが決まりました。一応。

まだ直接お会いしてはいないのですが。

 

月曜日に父が、地域包括支援センターに相談に行ったそうなのですが、まあちょっと上手いこと話が通じなかったようで、センターから確認の電話が私のところに来たのです。

ええ、十二湖に向けてドライブ中のことでございました。

 

両親の状況や母の病状などを話し、また後々父のこともお願いするかもしれないことも話し、ケアマネさんを探してもらうようお願いしました。

そうしましたら、火曜日の夕方、ケアマネさんからお電話がありました。

しかし、札幌に帰る列車のなかだったので、水曜の朝一でもう一度お電話をいただくことにしました。

 

休日最後の日、朝一でケアマネさんと面接の日取りを決め、その後実家に行って、父が何を支援してほしいのかを確認してきました。

「これから行くよ」と実家に電話した時、母が出たのですが、すぐに父に代わってもらいました。

それが気に入らなかったのか、10分ほどして母から「今日は具合が悪いので来ないでくれ」と電話が来ましたが、「とりあえず用事があるので行きます。具合が悪かったら休んでいてください。何なら病院に連れて行きますが」と言うと、「そんな必要はない」と切られてしまいました。

 

何か父と私が良からぬことを企んでいると思っているのでしょうか、具合が悪いと電話をくれた割には、その辺をちょろちょろ押して聞き耳を立てています。

どうも自分の健康状態について何か考えているらしいと思ったのか、具合が悪かったはずの母は私たちの横で、もも上げをしたりして健康アピールを始めました。

 

認知機能に問題があるのは事実なのですが、どこまでが本当でどこまでが同情を引くための詐病なのか、わかりません。

振り回される父が、かなり疲弊しているのも気になります。

ふたり暮らしを支援してもらうつもりでケアマネさんに相談しようと思っていましたが、ふたり暮らしはもう限界なのかもしれません。

 

今日は母の通院日でした。

あいかわらず私が姿を見せると「足が痛くて歩かれない」と不調を訴えます。

そう言うことも含めて、迷子になったこと、大げんかになったことを先生に話しました。

食事もあまり取りたがらないので、低血糖の検査をしてもらうことになりました。

先生に「ふたりで暮らすのはもう限界かもしれませんね。ふたりで入れるグループホームとか探してみたらどうでしょう。ケアマネさんと相談してみてください」と言われましたので、面談の時にそれも踏まえて相談します。

 

ブログをやっていてよかったのは、母のやらかしたできごとの日にちがすぐわかること。

さすが備忘録。

ありがたいことです。

 

 

 

9月28日の読書:マスク スペイン風邪をめぐる小説集 菊池寛

 

 

カバー裏より
『スペイン風邪が猛威をふるった100年前。作家の菊池寛は恰幅が良くて丈夫そうに見えるが、実は人一倍体が弱かった。そこでうがいやマスクで感染予防を徹底。その様子はコロナ禍の現在となんら変わらない。スペイン風邪流行下の実体験をもとに描かれた短編「ますく」ほか8篇、心のひだを丹念に描き出す傑作小説集。』

目次
・マスク
・神の如く弱し
・簡単な死去
・船医の立場
・身投げ救助業
・島原心中
・忠直卿行状記
・仇討禁止令
・私の日常道徳

コロナ禍だからこそ出版された、菊池寛の短編集。
とはいえ、スペイン風邪をめぐる小説集というのは言い過ぎ。

表題作は、心臓の具合がよろしくないと言われた死を身近に感じておびえていた頃、流行性感冒が流行り始めてからの著者の行動が、全く現在のコロナかと被って面白かった。

”自分は、極力外出しないようにした。妻も女中も、成るべく外出させないようにした。そして朝夕には過酸化水素水で、含漱(うがい)をした。止むを得ない用事で、外出する時には、ガーゼを沢山詰めたマスクを掛けた。そして、出る時と帰った時に、叮嚀に含漱をした。”

”病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと云うことは、それは野蛮人の勇気だよ。病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると云う方が、ぶんめいじんとしてのゆうきだよ。”

また。「簡単な死去」では流行性感冒で亡くなった同僚のお通夜に出席する人を決めるためのくじ引きを行う。
何しろみんな嫌なのだ。

”若(も)し当り籤が自分に残ったら、何(ど)うしよう。どちらかと云えば、病気恐怖症(ヒポコンデリック)な雄吉は、今度の感冒も極端に怖れて居る。社内で、誰よりも先に、呼吸保護器(マスク)を買ったのも、雄吉だった。硼酸(ほうさん)で嗽(うが)いもして居る。キナの丸薬さえ予防の為に、時々飲んで居る。”

まあまあ、スペイン風邪関係は最初の三編のみで、あとは時代物の有名な短編作品。

「船医の立場」は、アメリカに行こうと黒船に乗り込んだ吉田松陰の処遇について、「知性も品位も感じられる日本の有能な若者を、ぜひアメリカに連れて行きたい」という船長以下の意見に対して、船医の立場で意見を言ったワトソン。
船から降ろす=命がないであろうということはわかっていたのだが、言わざるを得なかった。
しかし後に、狭い籠に押し込められた松陰たちを見て、自分の判断は一体正しかったのであろうかと思う。

「仇討禁止令」は、過去の非道を隠し続けられるのか、それともすべて破綻してしまうのか。
誰が悲劇的な最後をむかえるのか、と予想しながら読んだけれど、そう来たか。
明治になっても、出世しても、己の中の武士は生きていたのか。