家に帰るとき、必ず郵便受けを覗きます。

郵便があったら、台所で夕飯の支度をしている10さんに「ただいま。郵便あったから置いとくね」と声を掛けてダイニングテーブルの上に置きます。

これはもう、昨年札幌に戻ってきた時から、ずっと。

なのに、毎回新鮮に驚くんですよ、10さん。

「うわっ!びっくりした!急に来ないでよ」

 

足音を忍ばせているわけじゃないんですよ。

ガチャガチャと玄関の鍵を開け、ドアをパタンと占めて、廊下を歩くのも決してしずしずではない。

なのに、びっくりするんです。

へそくり数えてるのか?ってくらい。

 

「ちゃんと音立てて来てよ」と言われますが、廊下は静かに歩けと習った世代です。

しょうがないので、「どすどすどす」と口で言いながら歩いたりしています。

 

これ、癖になって、どこかでうっかりやらかしたら大変。

やっぱりどすどす地響きを立てながら歩いたほうがいいのでしょうか。

しかしそれはそれで、どこかでうっかりやらかしたらヤバい気も。

 

ごく自然に、予告的に音を立てながら10さんに近づくには、一体どうしたらいいんだろう。

 

 

 

 

本日の読書:長流の畔 流転の海 第八部 宮本輝

 

 

カバー裏より
『昭和38年、松坂熊吾は会社の金を横領され金策に奔走していた。大阪中古車センターのオープンにこぎ着けるのだが、別れたはずの女との関係を復活させてしまう。それは房江の知るところとなり、彼女は烈しく憤り、深く傷つく。伸仁は熊吾と距離を置き、老犬ムクは車にはねられて死ぬ。房江はある決意を胸に秘め城崎へと向かった……。宿運の軸は茫洋たる暗闇へと大きく急速に傾斜していく。』

老いらくの恋ではなかったのか。
一時の気の迷いで家族と距離を置かれてしまう、67歳松坂熊吾。
それはそれで切ないなあ。
仕事も、他人の世話を焼いているうちはいいのだが、自分の商売となるといつも足元をすくわれて左前になってしまう。

愚かだと言えば愚かだ。
毎度同じ過ちを繰り返す。
それが性分だとしても、学習しなさすぎる。

ただ、この時代の男として松坂熊吾が卓越しているのは、家族の危機には必ずその場に立ち会っていることだ。
身体が弱くて何故か怪我しがちな伸仁の、命にかかわるとき。
学校で伸仁が教師に理不尽な目にあわされていた時。
熊吾は頼れる父としてその場に居合わせた。

今回は房江。自らが蒔いた種とはいえ、房江が酔っ払って線路で動けなくなった顚末、城崎で死のうとした結果、自らの力で生きていこうと多幸ホテルで働き帰途に就く姿を、熊吾はしっかりと目を逸らさずに見届けた。
これができない男に限って「いざという時に出ていけばいい」なんてうそぶくけれども、常日頃を見ようとしない人が、一体いつ「いざ」がわかるの?
熊吾は仕事で忙しくしていても、女遊びをしていても、常に家族のことはちゃんと見ていた。

けれど、仕事は逆にいつも抜けてるんだなあ。
「こいつに任せておけばいい」と思うとチェックが甘くなる。

とすると、熊吾にとって一番大切なのはやっぱり家族であって、だとするとこの展開は切ないのぉ。
自業自得だけれど。