カバー裏より
『開明論者であり、封建制度の崩壊を見通しながら、長岡藩をひきいて官軍と戦った河井継之助。その矛盾した行動は、長岡藩士として生きなければならないという強烈な自己規律によって武士道に生きたからであった。西郷・大久保や勝海舟らのような大衆の英雄の蔭にあって、一般にはあまり知られていない幕末の英傑にして、維新史上最も壮烈な北越戦争に散った最後の武士の生涯を描く力作長編。』
『功名が辻』を読んでから、どうも司馬遼太郎の作品にノレなくなってしまったのかもしれない。
主人公の時代を俯瞰する目の確かさに、確か過ぎる目に、ちょっと食傷気味というか…。
河井継之助は、幕府の構造や武士という存在は過去の遺物となるであろうことを見越し、経済で長岡藩を存在させようとした。
先祖伝来の財物を金に換え、大砲や最新式の銃を買った。
武装中立国であるスイスを見習ったのである。
だけど、広大な平野に広がる長岡では、山の中に位置するスイスと同じようにはできない。
それは素人の私にもすぐにわかったこと。
古来、戦は地勢を考慮して行われたものだけど、北越戦争すら最終的には地の利を考えて攻め、守ったのに、なぜ長岡の地理的特質を考えることなくスイスに倣ったのかがわからない。
その一方で、藩主には義に殉じる人であってほしいと願う。
最後まで佐幕の他藩と手を繋ごうとはしなかったが、薩長に与することだけは頑として拒否した。
この矛盾。
藩の有能な若手に「牧野家とその藩が、継之助一個の思想的美意識で滅ぼされてはかなわない」と言われ、論理的に反論することはできなかった。
「おまえにはわからん」と黙らせようとした継之助は、「気概だけでも(謙信を)見習え」と言った継之助は、「空想です」と切り返される。
まったく、この若い侍・安田正秀の言うとおりだ。
結局継之助は安田正秀を就寝蟄居に処する。言論封鎖だ。
どこに敵のスパイがいるかわからない状況で、誰が寝返るかわからない状況で、継之助のビジョンをどこまで明らかにしていいのかは確かに難しい。
しかし、あまりにも一人の頭に納め過ぎた。
風雲急を告げる時代ではあったけれど、だからこそもっと人を育てなければならなかったのではないか。
若かった頃に他人を見下して、自分が認めた人としか付き合おうとしなかったつけが、最後の最後にきいてきたということか。
北越戦争での河井継之助の戦いぶりを見る限り、彼は卓越した戦術家ではあったと思う。
しかし薩長の戦略に負けたのだ。
長岡藩を残したい、薩長には与したくないと思うのなら、奥羽列藩と組むべきだったのだ。
蓄えた金を奥羽列藩に貸し与え、薩長とイギリスの関係を面白く思っていない商人を紹介して最新式の武器を準備するように提言するべきだったのだ。
最後に藩主を落ち延びさせるとき、「会津に頼め。会津がダメなときは米澤に行くな。庄内に行け」と言ったと作中にあるが、これがもし本当なら、継之助の目の確かさに驚かされる。
そしてなおさら、会津と庄内と仙台とだけでも事前に手を組んでおけば、幕府が倒されたとしても、薩長のやりたい放題は防げたのではないかと思う。
河井継之助はその独断のせいか、当時も今でも地元にアンチが多い。
それはなぜか…ということをこの作品には書かれていない。
そういうところがフェアじゃないというか、史実を知らない人が読めば、時代に恵まれなかった完全なヒーローに読めてしまう。
10さんの地元が舞台なので、北越戦争の火蓋が切られてから知ってる地名がたくさん出てきて、位置関係が分かるので、結果を知っているのに手に汗握ってしまった。
だって、最後の20ページくらいまでは、互角以上に戦っていたんだよ。
ひとりだけが抜きんでていても、それで国造りは出来ないなあと『銀河英雄伝説』を思い出しながら本を閉じた。
